[ 2022.3.1. ]
296号-2022. 3
「社員の限界が会社の限界」とか「会社のレベルに応じた社員しかいない」と言われる。何れも会社の成長を社員レベルに落として啓蒙している言葉で、教育の必要性を訴えている。
会社組織は総力戦組織で部門を問わず、全員が「社長の分身」として全身全霊動く必要がある。どんな凄いカリスマ経営者がトップとして会社を引っ張っていく場合でも社員が働かないと会社もよくならない事になる。
しかし、「社員が社長の指示通りにだけ行動する」のと、「社員が自立的に考えて行動する」場合を比べると、一般的に後者の方が業績も上がるが、スタートアップ企業の場合は反対で「社員は社長の指示通りにだけ行動する」必要がある。経営資源のない時期では時間が勝負だからだ。即戦即決で進めなければ他社に後れを取り、存続もままならない。多少の無理強制は当然となる。しかし、いかに優れたカリスマ経営者でも自分の老化には勝てない。加齢とともにその優れた判断能力と実行力は衰え判断を間違えることがある。一世を風靡したカリスマ経営者が数十年後、跡形もなく消えていくのを我々は見てきた。そこには時代の変化を読まず、過去の成功体験に基づいた経営を続け、側近はイエスマンばかりが取り巻き、後継者が育たなかったのが原因とされている。
経営者の独走にブレーキをかける組織になっていなかったのだ。
そこで、米国経営を真似た「コーポレートガバナンスコード」が出てきた。それでは組織の英知を集めた集団指導体制がいいのかというとそうでもない。かえって「小田原評定」となり即断できず商機を逸する事も多くなり、最終的リスクは、誰が負担するのかが不明瞭になる。しかも「船頭多くして船山登る」のことわざの通り、一艘の船に船頭が何人もいたら、船は山に登ってしまうようなおかしな方向に進んでしまい、指示する人ばかりが増えて物事が見当違いの方向に進んでしまう。カリスマ経営者がいなくなった時点で組織は間違いなく分裂する。
一方、社員は考え方もレベル感も様々であるため、「社員の行動の質&量を上げるのが大切だ」と頭では分かっていても、「実際に会社がそのために力を入れられるのか」という段階になると、難しいのが現実だ。しかも社員教育は投資に近い。
投資というだけあって返報率は極めて低く、無駄になる事が多い。一部上場企業のように入社試験にある一定レベルの大学卒しか受験させないという事も起きうる訳だ。それほど費用対効果が正比例しないのだ。これは行動遺伝学が半世紀にわたって積み上げた知見で証明されている。「ヒトの行動特性は全て遺伝的である」「複雑なヒトの行動特性のバラツキの大部分は遺伝子や家族環境では説明できない」と「遺伝率+共有環境+非共有環境=こころ」で説明される。これは本人が努力すれば「成績=知能」はいくらでも向上していくという「教育神話」が成り立たない事になる。しかしこれをそのまま認めるとリベラルな世界は成り立たなくなる。全体主義的な政治体制下での「優生思想」に直結するからだ。
このため、民主主義を標榜する社会では、巷間「社員の成長を待つ」のがポイントであるといわれるが、これを一般化する事は首をかしげる。リベラルな社会での「自分の人生は自分で決める」「すべての人が自分らしく生きられる社会を目指す」という価値観のもとでは、社会のつながりは弱くなり、私たちはバラバラになっていく。「人は自由な選択にのみ責任を負うべきであり、責任のない処に自由はない」が現在の自由世界の責任論の論拠だ。リベラル派が蛇蝎のように嫌う「自己責任論」だが、自由な選択に責任を取らなくていいのなら社会秩序はたちまち崩壊する。
では、社員が自分の限界を突破し、会社が今の限界を突破するために何が必要となるのだろうか?まずは事業を続けていくためのお金と時間が必要となる。今月末の資金繰りが心配な場合には 何よりもまず資金繰りを確保することが肝要だからだ。また、当面の資金繰りに問題がなければ社員の成長を待つための時間的な余裕も生まれる。つまり“ビジネスモデルとして稼げる仕組みがある”ことが前提条件となる。
一方、仮に現時点で稼げるビジネスモデルが確立できているとしても、今は消費者の嗜好の変化も大きいので、稼げる仕組みを常に改善していくことが求められる。加えて重要なのは「失敗を奨励する組織風土」だ。減点評価の組織風土ではなく加点評価の組織風土が必要だ。某大手飲料メーカーの「やってみなはれ!」の精神が必要だ。当然失敗も多いが失敗を蓄積すること自体が財産という考え方だ。
その際「経営者一人が考えて仕組みを改善する」のと「複数の社員も加わって仕組みを改善する」のとでは、ビジネスモデルの厚みが違う。この時、求められるのが 経営者の心の余裕と忍耐力だ。社員に任せられる度量があるのか? 失敗を自己責任として受け止められるか?言い換えれば、自分と違うやり方や自分とは異なる価値観を受け入れられるかどうかが鍵を握っている。
その為の訓練も必要だ。どうしても加齢ともに行動半径が狭まり、視野も狭くなる。新たなことに本能的な抵抗感が出てくるからだ。何時もの通勤経路を意識的に変える。何時もの下車駅の一駅手前でおりて歩く、たまには車通勤をやめ自転車や公共機関の利用に切り替えるのが、新たな発見ができ感覚も磨かれるだろう。ある著名なスーパーや総合商社の経営者が実行している事だ。
先日もある会合で「みちょぱ:タレントの池田美優」「レオン:占いの木下レオン」のことが話題になった。その会合に参加されていたメンバーは私と同世代の方が多かったので「みちょぱ」や「レオン」の何が良いのかがよく分からん???」というご意見が大半だった。人は自分が理解できないものや、よく分からないものを否定したり、批判したりする。また、「みちょぱ」や「レオン」に熱中するような人たちは自社のお客さんにはならないかもしれない。しかし「一定の人たちの間で人気がある」「熱中する人たちが生み出す市場がある」「新たなビジネスチャンスにつながる」可能性がある。
今までも画期的なヒット商品を生み出す契機になったのは、研究室や社内の商品開発室からではない。何気ない普通の事がヒントになっている。よく「アンテナを張れ」と言われるが、脳科学的には脳は新規の事象を好まず、放っておくと考えなくてもラクする方法を自然に探してしまうと言われている。他から意識的に新しいものに興味を持ち挑戦する姿勢が大事だという事になる。定年引退とはその感覚が鈍化した時点を言うべきだ。
自分は理解できない異質のものでも社員を通して会社の中で活かすことができたら、会社は限界を超えられる。事実中小企業の場合、そこまで行くのはなかなか難しい。しかしながら、今日明日の資金繰りを心配する状況でないのであれば、思い切って社員が自分の限界を突破することに一定のリソースを割くのも戦略としては検討の余地がある。そこは経営者の心の余裕次第だが、逆に言えば、経営者が覚悟を決めれば今日からでもすぐに実行できることになる。いまさらながらに社長業は「決断と我慢」業だと納得した。
会長 三戸部 啓之