[ 2024.1.1. ]
318号-2024. 1
例年恒例の全社員上期方針発表大会が12月11日に終わった。会計上の上期決算は8/1~1/31になるが、社内的には従来通り6/1~11/30で発表することになる。結果、グループ全体の売上は22億、営業利益は2200万となった。通期では売上45億、営業利益1億となる計画だ。それを受けて各課、各自がその達成に向けて半年間の行動と成果目標を発表する。発表形式はPDCAに基づく管理サイクルだ。
前提になるのは、なぜ、なぜ、なぜを繰り返し追及する事だが、なかなか真因までに抉っている発表は少ない。だから目標の裏付けが不十分で、つじつま合わせになっているケースが多い。結果の検証(C)が先で、それを踏まえて計画(P)が来るはずだが、前期の実績の〇%とかで計画しているから、それから始まる行動(D)が、具体性がなく曖昧になり、検証(C)も感覚的な表現になってしまう。つまり、行動指針としては具体的な日常活動に降りてこないのだ。
行動の動機付けとして、目標の設定は必要だ。だからどうしても目標が先に来てしまう。前年比と比べ目標を設定することが「心理的安全性」を維持する契機になる。それは目標自体に存在する根本的課題でもあり、何はさておいても目標を立てたがる。目標自体は何のストレスもかけないから安易な姿勢で作られる。
達成感の幻想もあるから幸せホルモン、オキシトシンが分泌されハッピーな気分になれる。発表自体が単なる意思表明に終わってしまう。大きな声を上げることが意欲的と勘違いされ、やる気十分と評価されてしまう。最悪なのは発表技巧にかまけてショー化することだ。見た目はいいし目を楽しませるから会場の印象もいい。これだと本質を外れ、できない理由も本人や部下の「やる気」になって自責他責の精神的動機に集約されてしまい、後日の改善や再現性が不可能になってしまう。
目標の有無と頑張れるか、頑張れないかを軸にして分類すると・・・「目標があれば頑張れる人」と「目標があっても頑張れない人」「目標がなくても頑張れる人」と「目標がなくては頑張れない人」に分かれる。通常「明確な目標を持て」とアドバイスするのは、「目標があれば頑張れる」人が多数を占めるから組織上その前提に立っており、中間検証や後日結果検証が可能だからだ。また組織のベクトルを合わせるという効果もある。当の本人もそのマイルストーンを設定できるという訳だ。しかしながら、「今期は頑張ります!」と勢いが良かったのに、3ヶ月後の中間検証では「なかなか進みませんでした」となっていることが多い。これには内面的原因と外面的原因がある。外面的要因としては経済環境の変化、予期せぬアクシデントが当たるが、これは制御できない。これは社員の責務ではなく経営側の問題になる。
内面的原因としての対策は「人を突き動かす原動力である『心的拘束性』を言語化する」ということがポイントになる。これは「過去に感謝を、現在に信頼を」という「心意気」だという経営コンサルタントの岩井徹朗氏による解釈もある。現在の状況に何かしら不満を感じている人は、現在に信頼を置いていない。このやり方で良いのだろうか?この考え方で正しいのか?この人の教えってどうなのだろう?また、現在の自分の状況は過去の自分が作り出したものなので「あの時、やっておけば(やらなければ)良かった」「もっと早く手を打っておけば、ここまで苦労しなかったのに」「あの人の言いなりになるんじゃなかった」というように過去に感謝するどころか、後悔の念や憎悪を抱いている。
心意気を言語化するプロセスにおいては、まず自身の過去の出来事を振り返ってもらうのが効果的だといわれている。過去と現在とを比べて、自分なりの成長の有無を実感できるようになる。過去の苦労を克服した過程が誰かの役に立てば、「これなら新たな価値の創造につながる」と実感できるので、現在への信頼に繋がる。
ここまで、固めた後で「では、未来に向けてどうする?」ということに関心が向けば、未来への希望に繋がる。感情を整えるプロセスは「過去に感謝→現在に信頼→未来に希望」を順番に固めていくものであるという。「過去-現在-未来」が上手く繋がってこそ、仕事もプライベートも充実するのではないのか。 特に目標があっても、なかなか頑張れない人は、一度「過去→現在」の部分にフォーカスを当てることで問題解決につながる可能性がある。
岩井徹朗氏の解説は明解だが、人間はデカルトが言ったように、「いま考えている、だからいま存在する」ということではなくて、「いま」という時間を少し遅れて作る事によって「いまを作っている存在」なのではないのか。行動より少し遅れて「こう考えてこうしたはずだ」という意思が作られる。脳科学的にも、自由意志があってある行動や選択が生じるというよりは、脳が無意識を含めた一連のプロセスで選択したものを、あとから追認し、理由付けし、物語化するのが自由意志だと考えられている。言葉を変えれば、人間は過去の成功体験や失敗体験(トラウマ)からは逃れられないということになる。
過去の教訓においても過去の体験がそのまま延長線上に結果として現れることは希有だ。しかし、人間の本性として過去の束縛からは逃れられないことも多く、行動の制約にもなる。論理的に理解不能な突発的行動にでる事もある。特に失敗体験はアンカー効果が強く、それから逸脱することは難しい。だから思考の訓練として過去を客観的冷静に検証し始める事がポイントになる。
結果には原因がある。その原因を表面的ではなく真因を探らなくては立てた目標も盤石とはいえない。その点、PDCAのデミングサイクルは発生した事実の検証から始まるので効果的だ。目標に近づくための最適なツールと言われているが、単なる願望発表ショーになっては意味がない。
我々実務家やビジネス意識を持った人(つまりプロ)の特徴は常にその時々の「結果を重視」する。他方でサラリーマン意識を持った人は、常に結果よりも「過程を重視」してしまう。ビジネス意識を持った人は給与を「成果の対価」という考えが、サラリーマン意識の人にとって給与は「行動の対価」と言う具合だ。ここに階級の断絶がある。雇用者と被用者の考え方の違いがある。
テイラーの科学的管理法という1世紀も前の考え方が、近代労働法制の根幹にある。結果ではなく手段を重視するのでは、企業経営は成り立たない。あくまで結果の再現性を担保するためにプロセスがある。成果物があって初めて労働者に分配が可能になる。かって「結果管理」ではなく「プロセス管理」という考え方が流行った。そもそも「プロセス管理」は成功体験を水平展開するために始まったものだが、いつの間にかプロセスさえキチンとすれば、結果は免責されることになった。
元ダイエーの中内社長が言われたように「売り上げがすべてをいやす」のは経営の基本だ。今はこれをストレートに言うのを憚れる風潮だが企業経営の基本を忘れては成り立たない。ビジネスはきれいごとでは済まされない。働き方改革も、時短と休暇が強調されるが、経営側から見れば、最低賃金の政策的改定は固定費のアップととらえるのではなく、生産効率をいかに上げるかを問われていると考えるべきだ。
先にはJOB型雇用と成果報酬型雇用体系があり、「解雇制限法理」も緩和されつつある。根底にあるのは雇用の流動化だ。だからリカレント教育や副業をメディアを通じて拡散しているのだ。将来は雇用者にとっても経営側にとっても厳しい宿題を負っている。
少子化を踏まえ、労働生産人口が7年後の2030年には644万人が不足するという推計もある。1990年代は総労働時間が1800時間で2024年からは約半分の960時間だ。省力化による生産性を挙げなければ、人手不足倒産は現実的なものになる。DX化と省力化設備投資と社員の生産性アップこそが企業存続の要になる。その為にも社員のスキルアップとしてのツールである品質管理手法の体得が必要となる。
会長 三戸部 啓之