[ 2015.7.27. ]
216号-2015.7.25
前号に引き続いて「崎陽軒 野並直文社長の記念講演」を取り上げてみた。
弊社が所属している神奈川県中小企業家同友会で毎月発行している「中小企業家しんぶん4月5日号」に講演要旨が記載されていたので、そのまま再掲することにした。全体を網羅しているので前号より臨場感も体感できるだろう。
※※※※※※「中小企業家しんぶん4月5日号」より抜粋 ※※※※※※
『総務省の統計によると、横浜市民の年間のシュウマイの購入費は全国第一位です。
崎陽軒の創業は1908年(明治41年)の4月、この時はまだシュウマイを売っておらず、幕の内弁当やサンドイッチを売るごく普通の駅弁屋でした。
ところが横浜駅は駅弁があまり売れない駅なのです。というのは横浜駅が始発の東京駅からの通過駅であるからです。
当然お弁当の売上げは上がりません。そこで当時の経営者は小田原のかまぼこに目をつけ、横浜駅でも名産品を売ろうと考えたわけです。ところが横浜は開港によって発展した新しい町です。なので歴史も文化も、勿論名産品もありません。では無いなら作ってしまおう。何がよいかと横浜市内を探し、目をつけたのがシュウマイでした。ところがシュウマイは冷めると不味くなってしまい、冷めることを前提とした駅弁には合いませんでした。なんとか冷めても美味しいシュウマイを作ろうと考えます。1928年(昭和3年)苦労の末に完成したのが、今でも販売しているホタテの貝柱入りシュウマイです。
ところが、ホタテの貝柱はとても材料費の高い食材です。よって値段も高くなり、中々売れませんでした。其の困難を打ち破ったのが「シウマイ娘」の誕生です。
当初、販売員は男性ばかりでしたが、そこに「シウマイ娘」を登場させます。すると、この「シウマイ娘」が話題になり、新聞小説、さらに映画化される事になりました。この映画も全国的にヒット。当時はテレビの無い時代ですので映画は一番の大衆娯楽です。このヒットは全国的なPR効果があり、横浜のシュウマイは全国的に有名になりました。幕の内弁当にシュウマイを入れて、シュウマイ弁当を発売したのが1954年(昭和29年)です。このシュウマイ弁当は発売当初から人気が出始め、1991年(平成3年)に長年市民に愛されてきたということで、「ヨコハマ遊大賞」をいただくことができました。
2003年(平成15年)シュウマイ工場の工場見学を開始しました。当初社内では、俺たちは見世物じゃない!と反対されましたが、始めてみると大盛況。今でも3ヶ月先の予約が埋まります。そしてこの工場見学は、従業員の目の色も変わらせました。販売や接客に関わる社員は、日々お客様と接しているので、自分達の仕事がどのように世間に評価されているのかを感じることができます。
しかし、工場勤務の従業員は自宅と工場の行き来のみでお客様からの評価を実感できる機会が無いのです。
そこに工場見学でたくさんの人が訪れたことにより、多くの人達が自分達の仕事に興味を持ってくれていると感じ、世間ではこんなに評価されているのかと実感することができ、社員のヤル気は目に見えるほど変わりました。人は自分の仕事に関心を持ってもらえるとうれしいものです。これは、予想だにしないことでした。
社長になることが決まっていた1年前に、私は経営理念を作ろうと考えました。色々なセミナーに参加したり、本を読むことで経営理念の作り方を勉強し、社長就任と共に発表しました。ところが最初は単なる壁飾りでしかなく、社員の誰もが経営理念に基づいて仕事をしているとは思えない状態。それでも数年が経ち、経営理念に共感して入社する社員が増えていくと、経営理念が力を持つようになりました。
ある時、それが確信に変わる出来事がありました。ある若手の男性社員が退職願を持ってきたのです。其の社員はお弁当の開発の仕事をしており、コンビニ弁当のようなお弁当を作りたいという思いを持っていました。
ところが経営理念に「新しい名物名所を創造する」と書いてあります。彼の提案する、何時でも何処でも買えるようなお弁当は全く採用されません。それが嫌になってしまい、「経営理念が阻害する要因になっていると」捨て台詞を残して辞めてしまいました。
其の話を聞き、私はようやく経営理念が力を持ち始めてきたと確信しました。
経営理念とは会社の方向性を示すものです。ですので、会社の進む方向とは別の方向へ進もうとする人もなかには出てしまう。これは仕方が無いことです。経営理念は何でもありではいけません。とくに中小企業は経営資源が少なく、なんでもありでは行き詰ってしまいます。
ようやく力を得てきた経営理念ですが、私はこの経営理念を変えなくては成らないと思っていました。なぜなら、最初に作ったときに色々なものを入れすぎて、複雑になり私自身でも分かり難く感じたからです。なので、シンプルにするということで以下の3つになりました。
① 真に優れた「ローカルブランド」を目指します。
② 常に挑戦し「名物名所」を創り続けます。
③ 食を通して「こころも満たす」ことをめざします。
これが現在の我社の経営理念です。
簡単にですが百年の歴史をお話しましたが、この歴史の中から何を教訓にして学び取らないのか。これをまとめたのが次の教訓6ヶ条です。
① 差別化戦略。
冷めてもうまく、小粒である事、何故小粒なのか。「崎陽軒のシウマイ」は列車の中で食べてもらうことを前提にしており、一口で食べられるようにと今の大きさになっています。
② ローカル色をテコに
「崎陽軒のシウマイ」は中華街の存在が大きく影響しています。横浜らしさ、地域性をテコにした名産品つくりが大切です。
③ ニッチ戦略
シュウマイ市場も当時大企業が目をつけない非常に小さな市場でした。
④ ハンディーキャップ・ピンチをバネに
横浜駅が通過駅で弁当が売れない駅だった。このハンディーキャップがあったからこそ横浜の名産品を生み出すことができた。ピンチは8年前に崎陽軒がJAS法違反で立ち入り検査が入ったことがあります。理由は表示の順番が間違っていることでした。即、販売中止、自主回収、自主点検し、全てを発表。この迅速な対応が逆に会社の誠実さの表れと評価も受けました。危機管理をする場合いくつかのポイントがあります。一つは負けっぷりを良く、全てを公にして素直に謝ることが大切です。最悪の事態を前提に行動すること。そして危機管理の専門家に相談することです。トップダウンで危機管理対策本部を作り情報を集中させて対応すること。作成する文章にも気をつけましょう。
⑤ フリーパブリシティーの活用
新聞の記事に載ったり、テレビで報道される事で大きなPR効果を得ることです。情報を発信していく事でメディアでも取り上げてくれることがあります。これはコストをかけたCMより大きい効果が期待できます。
⑥ 明確な事業範囲
経営理念に基づき、我社の事業範囲を明確にし、身の丈に合うことしかしなかったおかげで、バブル崩壊では悪い影響を受けませんでした。
名物とは何なのか?
それを考えるとき、一番大切なのは普遍性です。食べ物の場合は「安い、旨い、早い」これが基本です。名物を作るとき食材にこだわります。こだわることは良いですが、其の分値段が高い。お客様がわかってくれないと売り出すも、全く売れない。この3つを押さえた上で独創性や地域性、文化性をドウ加味していくか、それがビジネスを生み出す要素だと思います。又ある講演会で講師の方が色々な地域ブランドを研究して共通項を以下のようにまとめていました。
①地域の誉れである、②地域限定、③地域の文化風土と一体になっている、④安心安全が見えるように、わかるように、⑤地域の価値を引き立てるもの、⑥地域の人達が日常的に消費している。
どれも名物の要素としてとても重要です。
ラインホルド・ニーバーという有名な方の「祈り」・・変えるべきものを変える勇気、変えてはならないものを変えない包容力、そしてそれを見分ける英知。これは経営者として大事な要素です。
シュウマイ弁当を発売して60年、其の間に中身を変えて失敗したこともありました。気をつけなければならないのは「変えやすいものを変える」ことです。例えば貝柱の分量、豚肉の質、少し落としたとしても分からないでしょう。変えやすいから、少しならと変えていくと、いつの間にか致命的な状態になっている、変えやすいものいというのは本当は変えてはいけないものも含まれているのです。一体何を変えるべきなのか、それを見分ける英知、経営者にとって大事な要素である。というのがニーバーの祈りから得られる経営者の教訓です
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野並直文社長は昭和24年生まれ、慶応義塾大学大学院経営管理研究科終了の俊英だが、同世代の私とは一味もふた味も違い、三代目にたがわない勉強家でもある。大いに見習いたいものだ。
社長 三戸部 啓之