[ 2015.10.25. ]
219号-2015.10.25
経営者は「改革につながる仕事、責任ある大きな仕事ほど、できることなら自分でやりたい」と考えている。しかし現実には経営者としての仕事がたくさんあるから、社員の誰かにそれを託すのである。経営者は創業当時から何でも自分でやらなければならなかった経験があるから「誰かがやる」という発想で他人任せにしておくようなことは無い。しかし、何時までも「プレイヤーでいる」のは企業経営者としてはいただけない。人を使う側にならなくてはいけない。それには人を使う器量と人の育成が必要になるし、使われるほうも使われる器量とスキルが必要だ。「人を使う側と人に使われる側」では持つべきスキルは相当に違う。
勿論どちらが優れているとか、良いとかではない。組織には船長(先導)と漕ぎ手(実動部隊)が必要だ。この船長と漕ぎ手をいかに育成するかが企業存続の要になる。人には持って生まれた資質というものがある。環境や努力である程度変われるが本質的な部分は不変である。自分の気質や行動パターン、精神的負荷の許容度を早く自覚する必要がある。それが仕事に充実感や喜びを見出すことにつながり、充実した人生を送れる近道になる。
良いも悪いも人には持って生まれた器というものがある。ヤドカリのように其の殻を成長に応じて脱ぎ捨てる事ができる人もまれにいるが、大多数の人は持って生まれた器の中で精一杯成長するだけでも充実した人生になる。孔子「韓非子」の中にある「水は方円の器に随う」という諺がある。本来の意味は「人は環境や友人によって、良くも悪くも変わるという」喩えだ。
私はこれを自己の運命や能力に例えて解釈している。「環境や仕事内容、地位に応じて自分をまず合わせる」という意味だ。
「守・破・離」がよく言われるが、現代のような管理社会ではまず「どうこう言う前に上司の言うとおりに動いてみよう!」そして「スキルを磨き実力を蓄えよう!」が必要だ。そうこうしている内に器が又新しい物に変わるのだ。資格や業務経験により仕事の内容や判断のレベルが変化する。それを成長というが、職階が上がると仕事のスケールが変わってくる。当然そこで求められるものは違ってくるが、其のハードルを超えることで自分の成長や権限の重大さを実感することも事実だ。当社に関わらず何処でもそれを「キャリアプラン」として位置づけている。当社では社員の区分で「新卒新人」「初級」「中堅1~2」「主任B」「主任A」「係長」「課長代理」「課長」と職階がある。「新卒新人」は1~2年、「初級」は3~4年の勤務要件、「中堅1~2」は3~10年の勤務要件、資格としてビジネス法務3級+賃貸住宅経営管理士+ファイナンシャルプランナー、「主任B」~は基礎資格として宅建取引士+相続支援コンサルタント(内勤事務は日商簿記2級、ビジネス法務2級)が必須資格となる。共通要件として夫々の職階に指定された講座受講6単位が課せられている。その職階に応じて求められるスキルとミッションは異なり給与もかなり差がつく。当社ではランクが上がらないと定昇のみで大幅な昇給はない。
サラリーマン双六で、末は社長か役員かと自分自身を鼓舞していたものだが、そういう上昇志向に水を差す昨今の風潮には首をかしげる。カネが全てという風潮もいただけないが、生活の基盤は何と言おうとカネである。人より「いい暮らしがしたい!」「人より良い物を持ちたい!」為には人より努力しなくてはならない。努力はまず、「人より多く働くことだ!」「人よりスキルを高めることだ!」それが自分の生活レベルや所有願望を満足させる近道だ。この当たり前の道理が公に言えない社会になってきた。
格差は諸悪の根源だ!という偏向思考だ。封建制身分社会では階層毎の横並び意識が重要だ。人より財産でも持ち物でもあまり抜きん出ていては嫉妬や羨望の的になる。組織の一体性が崩れる。だから「目立たない、人様から指摘されない、人様に迷惑かけない」という自己規制が働く。それが欧米とは違う文化を生み出し「おらが・・意識」を醸成した。時の為政者により連座制となって便利に利用されてきた。
其の現代版が「残業するな!」である。「残業は自己の能力が無いからだ!」は従来の残業意識を経営者も含めて当該の社員も無能と呼ばれるに等しい。「仕事は時間内で!後は早く帰って家事を手伝え!」である。残業代稼ぎなど悪徳サラリーマンの烙印を押されかねない。
昔の「たこ部屋」ではあるまいし、この労働人口が激減している世に経営者が社員を奴隷のように扱う会社が何処にあるだろう。昨今では新卒大学生の就職には「モンスター・ペアレンツ」からの承諾も必要なご時世だ。「ブラック企業」の烙印を押されないかと企業経営者は戦々恐々とした時期もあった。この淵源をたどれば欧米からの要求にある。彼らはいつも日本を含めた後進国からの追随を忌避するためにこういう狡猾な手段を使う。御用学者と言われる大学教授とか提灯持ちの有名評論家が尖兵だ。日本ではこの肩書きは欧米にはない護符の重みを持って評価される。先の大戦でも「非国民」というレッテルを貼り同じ様なことが起こったことを忘れてはいけない。問答無用の言論封殺の一環だからだ。かって日本の住宅事情も知らずに「ウサギ小屋」呼ばわりされ、過酷な労働条件の下に糾弾した事を忘れてはいけない。こんな例は枚挙に厭わない。勝つようにルール自体を変えるのは彼らの常套手段だからだ。「スキージャンプやバサロ泳法の禁止」とスポーツにも及ぶ。米国で定着しなかった「デミング賞」で高品質製品を作り出し、グルーバル市場を席巻しつつある日本の輸出産業に危機感をもち、それを排除する為に考え出されたのが、ヨーロッパ発の「ISOシリーズ」である。其の取得がないと輸出ができなくなった為、輸出障壁となった。さらに3年毎の更新も1000万単位でかかリ、中小企業の体力を奪う。競争社会とは強者が勝つ社会なのだ!従来からの「技術輸入型大量生産モデル」では、昭和16年の国家総動員法の平成版を維持しなくてはならなくなった。少子化と高齢化社会の到来で雇用人口の減少は避けられないからだ。定年を60歳から70歳へ延長するのも年金財政から必至だし、女子の労働市場への投入も税金控除面、役員定数、管理職登用促進もそうだ。当面質より数で対応するというわけだ。労働生産人口を増やす政策もアジア諸国からの追い上げには一時しのぎに過ぎなくなっている。労務費の差が製品価格に反映するからだ。これからは付加価値型少量生産モデルが必要になってきた。
これに携わる労働者は、優れた知識と豊かな発想、質の高い職人気質の製品を生み出すスキルが必要になってくる。当然今までの労働者ではなく選ばれた労働者である。ここでも格差は一段と厳しいものになるだろう。その変化を冷静に捉えて対応している社員は何人いるだろう?自分を見つめ其のときの為に能力を磨いている社員は何人いるだろう!それも遠い将来のことではない、20代なら後20年後、30代なら後10年後だ。40代なら最早新規のスキルではなく今もっているスキルを磨くしかない。通用するスキルストックがあるという前提だが!その辺の意識改革を望むなら簡単なことがある。自分が経営者だという意識を持つ事だ。
「自分がやらなければ何も動かない!」という自覚でのぞむ事だ。「どうして私ばかりがやらなければならないのか」と考えること事態が、経営者意識とのギャップがある証拠である。自分が利益を生み出す重要な仕事を担当している、という誇りを持つとともに「ぶら下がり社員・幹部」はどんどん必要とされなくなっていることを知らなければ成らない。
床のゴミを誰が拾うべきか?などというとずいぶん次元の低いテーマと思われるが、そういうところに仕事に対する意識が確実に出てしまうのである。会社の中には「誰の担当でもないが、誰かがやらなければならない仕事」がたくさんある。勿論担当者を決めて効率よく処理したほうがいいだろう。しかし、問題はそういう仕事を目にしたときに自然と体が動き、自発的に取り組めるかどうかという点だ。会社の玄関マットがめくれている、見慣れない訪問者が玄関前に立っている、コピー用紙が少なくなっているのに気付いた・・・。
どれもが「誰かがやればいい仕事」だ。すぐに体が動く人材は、本当に重要な仕事にもすばやく取り組めることができる人在である。
掃除が行き届いた会社は、業績が良いといわれる。売り場の裏にある在庫スペースの整理整頓が行き届いている店は売上げを伸ばすという定説もある。業績と清掃や倉庫の整理整頓は直接には関連していないように見える。しかしそういうところに気配り、目配りができるきめ細かさが、お客様への対応にも出てきたり、営業力を支えたりしているのは事実なのである。
サービス業で生き残るには「貴方が頼りです! 貴方を信頼しています! ここまでやってくれるの!」の社員だけだ。こんな簡単な事であなたの仕事振りが変わるのだ。今から直ぐやってみたらどうか?
社長 三戸部 啓之