[ 2016.4.25. ]
225号-2016.4.25
「ブラック企業は淘汰される!?」
ある大手居酒屋が好成績な介護部門を売却し本業に専念したが客離れはとまらず、3年連続で赤字決算が確定した。その会社に対するマスコミ各誌は「ブラック企業に対して顧客が拒否反応!」と原因を分析している。従業員の過労死が大きな社会問題になった事がより糾弾された。
しかし、主たるの原因はメニューに差別化ができず、競合激化による売り上げ減少であるが、魔女裁判のように「ブラック企業」の烙印を押され、有無を言わせない理由となった。常識的に考えるならば、会社内部上の労務管理問題である「サービス残業」「休日なし」「長時間労働」が、接客サービス・メニューの品質に影響があるならば理解できるが、品質等に関しては問題がない事がはっきりしている。顧客が来店を忌避する理由としてあげるのは、こじつけに過ぎないが、その影響力は大きい。企業側の反論は許されず、マスコミには無視され「ブラック企業なら当然というレッテル」が一人歩きしている。企業の社会的責任云々はあるが、一企業をつるし上げても改善には程遠い。「ブラック」という言葉は、元々暴力団などの反社会的団体との繋がりを持ち、違法行為を繰り返す会社を指していたが、近年では労働基準法を無視、あるいは法の網や不備を悪用して従業員に長時間労働を強制する企業を主に指すようになった。すなわち、入社を勧められない企業、早期の転職が推奨されるような体質の企業がブラック企業と総称された。
海外の企業の場合、採用は事業ごと、地域ごと、経営のニーズに応じて事業の責任者が臨機応変に行い、途中から辞める社員も多いので採用は一年中行っているそうだ。日本企業の中でも時代に応じて素早く発展する企業は同じことをやっている。日本では社員がよく辞める企業は悪い企業のように思われるが、乱暴な一面的見方とも言える。ブラック企業の退職率が高いのは確かだが、発展期のマイクロソフトやアップルの退職率はもっと高い。彼らはそもそも流動性の高い人材をとって発展を成し遂げた。その人材達が次のステージを狙ってほかのチャンスに飛び付くのは当然で、離職率だけで企業の善し悪しを判断するならば、発展期のマイクロソフトやアップルは「ブラック企業」であり、役所的体質の東電は「素晴らしい企業」になる。
日本でも著名なコンサルタント会社の社員と話したことがあるが、その勤務時間を聞いてびっくりした。大学も超一流だし、さぞかし知的な雰囲気の職場の中で高給を食んでいるのかな?と思っていたが、勤務は深夜に及び有給も殆どとったことがないという。これなら「ブラックの最たるものだ」が当の本人たちは意に返さない。さらに3年以内にある程度の実績を挙げないと退社せざるを得ない。彼らは一様に「大変だがやりがいがある!」という。ここを卒業(退社)した社員は転職先でも一定の評価を得られるので、不安を感じてはいない。 つまり、「やりがい」「スキルが得られる」「高給」「社員は超一流大学卒」「就労目的が明確」がキーワードになっている。ブラックと言われる業界は、「代替性のある職場」「特段スキルや経験が不必要」に多い。しかも ルーティング的な仕事が多く、個人の工夫や達成感が中々得られない業種が多い。
だからサービス業では「ルーティング業務」が多いので、「やりがいのある」工夫が必要になってくる。「社員のやりがい」を作り「一定の達成感が得られ」れば、業績が上がり、社内留保が多くなり「高給」を支給でき、「超一流大学卒」が入社してくるという図式になる。
「1991年のバブル景気崩壊」以降、失われた20年がいわれ、企業経営は「なるべく無駄を省く」として「コスト削減」に比重を置いてきた。そうしたことからブルーカラー・ホワイトカラーや正規雇用・非正規雇用を問わず、末端の従業員に過重な心身の負担や極端な長時間の労働など劣悪な労働環境での勤務を強いてきた。
戦前から準備された社会保障制度や雇用環境は1990年代にリセットされる必要があったといわれる。少子高齢化が本格化し、日本が「ものつくりの国」でいられる時代ではなくなったからだ。豊富な若い労働力があり、人件費が安いアジア諸国に世界の工場は移っていった。さらにバブル崩壊で経済成長が止まり、建設業や製造業ではなく、サービス業が主役の時代になった。ところが日本は「戦後」をきちんと終わらせることができず、「産業構造の転換」が盛んに叫ばれていたが、90年代の経済不況に公共事業を増やすことで対応し無理やり永続させる道を選んだ。
資源がなく加工貿易を主体とする島国日本は、「規模の経済」を追求する製造業等では理論的にも限界があったのだ。しかし雇用を守るという大義の下に転換が遅れ、中国をはじめ東アジア等の価格競争にさらされ衰退を余儀なくされた。巷間言われているように「価値を作り出す成長戦略」が必要で「途上国モデル」の安売りではダメだということである。安く働くことがよいのではなく、労働は高価だという先進国モデルに変えていく必要がある。
イタリアのある高級ブランドの靴は一足345000円もするが、一定のユーザーに支持されている。トヨタがいくら頑張っても、高級車部門ではベンツやBMWにはかなわない。彼らが販売する小型車も高く売れる。そもそも、技術力で勝負する日本は「安価なものつくり」にむいた国ではない。
トヨタの「レクサス」ブランドは、当初業界からはさんざんに言われたが、差別化戦略は成功しているし一定の支持を得ている。それは従来の販売チャンネルから独立し、社員も顧客に合った教育をした結果である。付加価値経営とは従来の延長線上ではなく、別個の機構改革が必要になり経営側の決断は大きい。この点で参考になるのは「キーエンス」という従業員2,000人、年商200億円の企業だ。 配電制御機器 メーカーであり平均年齢35.6歳、平均勤続年数11.8年。驚くなかれ、平均年間給与1648万だ。
学生の垂涎の的になっている超一流企業の三菱商事は給与が高いことで有名だが、それでも従業員の平均年齢42.6歳、平均勤続年数18.6年、平均給与は1375万だ。因みにほぼ同じ条件で、ソニーは859万、日産は776万だ。高額給与が支払える理由は色々あるが、製造業でありながら自前の工場がない、汎用品に付加価値をつけて販売するコンサルティング営業を主体とし粗利率は何と70%である。商事会社の勤務は厳しいのが相場だが「ブラック」とは言われない。それは「ブラックと言われない」条件の殆どが揃っているからだ。キーエンスも同様だ。
社員をコストと考えるのでなく、「人財投資」と見れば、最適解が見つかる。企業のベクトルと社員のベクトルを合致させる事だ。「企業は社員の幸せのために持てる経営資源を最大限投入する」「会社の将来を一緒に語る」「社員の雇用は死守する」「経営者の責任に応じた報酬体系を作る」「利益を還元する」「個人それぞれにあった最適な仕事を担当させる」「経営者は最適な職場環境を提供する」事である。それには頻度の高いコミュニケーションが必要である。一言で言えば当社の標語である「厳しいけれど、楽しい会社」を目指すことが「ブラック化」を排除することにつながる。「ブラック企業」とは、経営者が自らの利益に走るから、社員を道具として酷使するのである。経営の必要条件である「社員の幸せを考える」ことが「顧客満足」につながる点を忘れている。企業存続の必須要件である近江商人の「三方よし」がそこにはない。一時的な栄華は得られるが恒久性はない。経営資源の乏しい中小企業では、経営者として大変な課題だが、経営者人生を選択した上は、避けられない命題としてトライするしかない。死して何も残すものはないが、その矜持だけは後継者に残したい。
社長 三戸部 啓之