[ 2013.2.26. ]
184号-2012.11.25
過去30年の間に「貸手市場の変化」に伴い様々な入居条件の緩和があった。
今なら信じられない事だが、最初は未婚の女性の単独入居、未婚男女の同棲と母子家庭の入居を貸主に認めさせる事だった。かって殆どの企業が単身女性は家庭からの通勤が採用条件であり、単身で入居するケースは、その理由を根掘り葉堀り聞かれ、うさん臭く見られたものだ。だから社宅が完備している大手企業しか単身女性の勤務は難しかった時代でもあった。1DKとかワンルームは都内や近郊都市部に限定されたものであり、戦後の住宅難解消の一翼を担った「夫婦+子供2人の標準世帯構想」である2DKが主体だったからである。肉親や兄弟が同居しないと単身女性が物件を借りる事は不可能に近かった。その上、せっかく勤務しても企業側は3年位で「寿退社」で辞める女性社員には冷淡だったし、「職場の花」くらいのレベルで、仕事はコピー取りやお茶汲みが殆どだった。当の社員も「社会勉強」くらいか「将来の伴侶」を見つける程度で、退社後は花嫁修業に専念する事が多かった為、4大卒は採用どころか受験もできなかった処が多い。女性は子育てと主婦業が本来の姿とされたし、表面上社会的合意に成っていた。
その後高度成長を背景にした女性の社会進出が認められるようになると、女性社員に対して「BG」という呼称が一般的になった。長く性風俗の代名詞だった「トルコ風呂」がトルコ大使館よりのクレームで「ファンション風呂~ソープランド」に変わったように、「BG」は米国では売春をするストリートガールの呼称であるというウーマンリブ側の意見も出て、長らく慣れ親しんだ呼称が、突如職種を問わず「OL」と呼ばされるようになった。呼称の変化に応じて「女性の戦力化」としての位置づけが明確にされてきた。企業側のコスト意識と男女雇用均等法の制定もあり職種や業種による男女の性的差別はなくなった。女性側の意識も、従来からの家庭の主婦と母親が上がりの単線双六から、スキルや能力に応じて自分の将来を決める複線化が主流になり、結婚や子供も女性の絶対条件ではなくなった。女性の経済と政治での意志決定参加度を示す国連のジェンダー・エンパワーメント指数(GEM)の低さやOECDの生産効率推進も後押ししていた。
又、ワーク&バランスやダイバーシティーの取り組みが、少子化を背景に女性の社会進出を本格化させている。今なら「ルームシェアー」として社会的認知ができ、個人的男女関係は殆ど無視されるようになったが、しかし未婚男女の同棲を認めることは反道徳的行為を是認する事につながり、貸主の息子や娘の手前困難だったと思われた時もあった。昔から「二号さん」「おめかけさん」を貸家やマンションに囲う一部の富裕層は存在したし、「男の甲斐性」ともなっていた。女性を囲うことができる男性は「力と地位のシンボル」でもあり、表向き「末は博士か大臣か」といった出生双六の影の部分だった。だからそれだけの財力があり、女性を扱うマナーができる男性が介在していたので、現在のような男女のトラブルは少なかった。女性も「影の存在」としてその地位を確保していたし、社会的にも認めていた大らかな時代だった。ただ今と異なる所はその殆どが「水商売の女性:バーやクラブの女性」か「花街の女性:芸妓や店の関係者」で所謂「玄人の女性、商売女」で、普通の家庭の女性「素人とも言っていた」ではなかった。そういう関係が社会的に是認できる棲み分けができていたので、本妻とのトラブルも少なかった。彼らは今で言う「優良入居者」だったが、一部の保守的な貸主層では認めなかった。それ以外での入居者は「駆け落ち」しかなかった。男女の交際や結婚をその親が認めないため二人で住まい始める形態だったため、社会的ハンデも多く賃料不払いリスクや入居トラブルも発生したからである。
世故に通じた貸主がその急場を救ったことも多々あったが、一般的な感情としては「ふしだらな関係」「家父長制度を乱す」として見られた。母子家庭は忌避されたのは、建前上の賃料不払いリスクだけではなく、国家政策上の「標準世帯」に合致しなかったからである。夫が勤労し主婦がその家庭と育児を守る機能分業性が否定されるからである。社会的にも離婚は「落伍者」の烙印を押され、就職も低賃金パートか内職しかなかった為、育児放棄による教育、非行問題は珍しくなかった。勿論再婚の道も今では考えられないほど厳しく、「バツイチ」のような気軽さもなかった。当然生活を維持するために、水商売へと走る女性も少なくなかった。水商売⇔ヤクザな商売⇔不逞の輩との付き合い⇔怖い、の図式が彼女らを排斥した。勿論、堅気の職業についている女性も多かったが、そのようなレッテルを貼られるハンデは大きかった。
今では女子大学生の80%が「水商売」のアルバイト経験がある。社会勉強になるから一度は経験した方がいいと言い出す開明的な母親も出現する時代とは隔世の感がある。当時は大学生がバイトをする事は「学業を疎かにする」事であり、学費の負担が厳しい「苦学生」しかできない風潮もあった。その目的も「学費の支払い」「生活費」に限定されていた。社会一般の評価も苦学生だからと様々な便宜が私的関係間では図られていた人間味豊かな時代だった。勤務先、勤務年数の緩和も現在は著しい。入社試験のような職種、勤務年数の精査が当然のように行われ、自営業や日雇い労務者(今風に言えばフリーター)水商売関係者や建築労務者、職人は忌避され、定期収入のあるサラリーマンしか難しかった。今でもそのハンデは残っており、当社でも人物本位とは言え、それなりの裏づけを取り判断している。転勤、転職、起業は雇用の流動化とともに一般的になり、海外赴任も一部のエリートだけではなくなった。一部上場企業でさえ何時倒産してもおかしくない社会情勢では企業のネームバリューでは判断できないし、その収入も滞納リスクを保証するものでもない。このように入居審査では賃料不払いヘッジと入居者の個人的動機や特性も重要な判断材料になっていた。それを補完するものとして保証人制度があった。
国内賃貸市場の中では保証人問題がいつも大きな障害になっていたが、保証の機関保証システムによってある程度の保全は可能になり、入居審査が格段にスピードアップされ簡素化された。
勿論それに全面的に依存することは危険で、上場企業の「リプラス」倒産はまだ記憶に新しい。
このように入居審査は時代の変遷に応じて変化し緩和されてきたが、その大きな要因は周知のように供給過多と少子化である。今後もこの傾向は続き、リスクを踏まえた入居審査の緩和は避けられない。究極的には賃料不払いがなく、トラブルを起こさなければ良いということになる。しかし社会的弱者保護、人権保護、個人情報保護、消費者保護等の保護規制の流れが貸主、管理会社に大きな障害となっている。賃料滞納、ルール違反、クレーマー問題も明確な退去要因の一つだが、様々な保護規制の中では難しくなった。以前は退去に関してもトラブルは少なく、その理由を提示すれば自らおとなしく退去して行き大きな問題にはならなかった。それなりの自責の観念を持っていたが、何時の日からか「受忍限度」「継続的契約関係」という法理から「他責」「居住権」を主張する入居者が増加し「金銭的保証」を求めだした。そういう意味では「入れたら最後」の敵対的借主が増加した。効率一点張りの管理会社や仲介会社では、システムに乗せるだけで、後処理能力に欠ける会社も少なくない。貸主側の要求も「賃料さえ入れば」「空室がなければ」良いという割り切った判断が主流になった。当社では「入居審査の緩和」はあっても「滞納・クレーム処理」は力仕事といって、その解決が管理会社社員の最低限の義務だと考えている。
社長 三戸部啓之