185号-2012.12.25

[ 2013.3.1. ]

185号-2012.12.25

社員教育の徹底を標榜している企業は珍しくない。
学生の入社受験動機の大きな決め手になっている点もある。
社員教育をしている企業は「社員を大事にしている」「社員をキチンと育ててくれる」からと認識するらしい。
そしてそういう企業は組織もしっかりしていて「将来倒産しない堅実な会社」と思うらしい。
≪ 違和感がある!!≫
大学卒なら、小学校6年、中学3年、高校3年、大学4年と最低でも16年間も教育されてきたはずである。まして大学浪人でもしていればさらに年数が増える。標準的な大学卒業生となれば、その人の人生の72%の年月も「教育されてきた」はずだ。

しかも一流大学だろうが三流大学だろうが同じ年月を費やしてきたはずだ。ただ違うのは、「強制されたにせよ」一流大学卒業者は三流に倍する勉強時間を費やしていることだ。つまりその年代にやらなくてはならないミッションを確実にこなしてきた結果だ。そして不思議な事に一流企業に入社できようが、三流企業に入社しようが、同じく「教育体制ができている」が入社を決める基準になっている。彼らの言う教育とは「時間をかけてじっくりと一人前に育ててくれる」事が望みらしい。今まで「16年間もじっくりかけてきた」環境と時間があったのに。それも「親が出してくれた高い授業料」を支払ってもらった結果が今の君なのにだ。

さらに今度は「給与を貰いながらじっくりと育てて欲しい」というわけだ。いつも何かをして貰っているのだ。何時になったら「親にお返しする」のか「世話になった人にお返しする」のか「会社にお返しする」のか。そういう受身の社員は必ず「まだ入社して○年しか経っていませんから」と自己弁明に躍起だ。そういう社員が定年近くなると「できることは判子を押すだけ」になる。全てとは言わないが当社の新卒は、客観的に見れば親の投資に見合った成果を出していない。高校~大学も然りだ。親も年だけとったバカ息子(娘)に過保護な接し方をするから「教え方が悪い」「会社が悪い」となる。責任転嫁も甚だしい。

卒業後は我社が「わざわざ給料を支払って教育する」のだ。一日でも早く投資に見合った成果を期待している。寸暇を惜しんで業務知識を吸収し、様々な経験をつみ、顧客に対して一人前の対応ができ信頼を得て成果を得ることが求められている。6ヶ月目、1年目、2年目。3年目とそれなりの道標がある。勿論中途入社にも年齢に応じて同じものがある。

以前、勤務評価と昇格基準が不明確だという要望があり、今はやりの『見える化』にした。
それも中堅社員クラスが集まり作成した。結果的に従来のものとそう変わらない内容で完成した。今年で2回目の査定評価になる。しかしこの手のものは作成することに意義があり、数年後に陳腐化してしまい、意外と又、膨大な時間をかけてやろうということは少ない。

内容が今までの暗黙知やドンブリ評価と大差ないので、運用上の問題もないからだ。
組織というものは短兵急には変化できないものだ。ムダと知りながら一定の時間が必要なのだ。所謂「期が熟すまで」だ。社員の理解度の違いもあるが機構上の伝達距離と時間もある。
常識的に考えれば、教えを請う側が支払い「教える側が支払う」事はありえない。
日本でも、かっては「徒弟制度」「丁稚制度」があり、「弟子」や「小僧」は無給が原則だ。休みも盆と正月の1~2日だけで、わずかな駄賃やもち代が貰えるだけだった。

考えてみれば当然で、一人前になるまでは雇用側の持ち出しが多くメリットがないからだ。
だから、早く一人前になろうと必死で、人よりも睡眠時間を減らし、消灯時間になるわずかな時間を読書に費やしたものだ。失敗すれば「どつかれ」「怒鳴られ」歯を食いしばって明日を夢見たものだ。これは遠い昔の話ではない、「最貧国」の話でもない。つい50年前までの日本の話だ。君の父親の時代だ、1950~60年代では当たり前の風景だった。

学校では「悪戯すれば職員室でバケツを持たされ1~2時間はたたされた」「校則を破って喫煙すれば停学か退学」「宿題を忘れれば間違いなく往復ビンタ」で、今で言う傷害罪、名誉毀損罪に該当する。「約束とルールを守る」事が徹底された。違反者に体罰を加える事が社会的に是認された。しかし何時からか「職責と義務」が忘れられた。自ら学ぶ姿勢がなくなった。ただでさえ正確な知識が少ない社員が多い中で、外部のセミナーにも自主的積極的に参加せず、自分の利害に反する事だけに異常に敏感に反応する社員だけでは先が思いやられる。 当社に5年来ある「アーバン図書館」の閲覧請求者も何時も一定の社員に限られている。

アーバン図書館は社長が読んだ書籍の中でビジネスに関係があり、一度は目を通してもらいたいリストを毎月15冊紹介しているものだ。ハードカバーや新書、文庫もあり、新聞で書籍紹介があったものや書店で直に選別したものもある。勿論全てを網羅しているわけではないので、社員が興味のあるテーマや好きな作家を選んで差し支えない。要は読書の習慣をつけ、文字を「読むこと」に対して抵抗をなくし、調査やプレゼンでより深い内容にしてもらいたいからだ。そして論理的な考え方を身につけ幅広い知識を習得してもらいたいからだ。

だから当社の社員で月に1冊も業務に関係する書籍を読まない社員は、理由の如何を問わず論外ということになる。手っ取り早い習得は書籍を読むことで作者の「疑似体験」「臨場体験」を得ることになる。こんな安上がりで即効性のあるものはない。
特にリーダーは部下より知識も多く経験も多くなくてはならない。
経験がなくてもリーダーに抜擢された社員は、リーダーにふさわしいレベルまで、それこそ寸暇を惜しんで勉強し経験の場数を踏むべき責任がある。それが頭でっかちの防止になる。単なる知識の集積だけでは営業成果に直結しないが、勘と度胸だけでは早晩行き詰まる。
営業にはセンスと勘がないと絶対に最優績者とはならないが、当社ではここぞという時に確実にヒットが打てる社員がいればいい。簡単だが毎日の訓練と経験の積み重ねが必要だ。センスと勘は教育では限度があるが、ない社員は、まず動き回る事でカバーするしかない。愚直にやれば効果は間違いなくある。優績者の倍動けばそれに近い成績までは行ける。

営業社員で実績の少ない社員は、リーダーが徹底的に行動を管理指示するべきだ。
「何がだめなのか」「何しにいくのか」を、常に点検する義務がある。そして「どうだったの?」「相手はどういう反応をしたの?」と事実を述べさせることだ。担当者の感じや評価ではバイアスが掛かり正確な判断ができない。そして「なぜそう思うの?」を聞くことだ。その積み重ねが担当者の成長につながる。そのためにはリーダー自身が現場で範を見せる必要がある。優秀な社員ほど、「よくそれだけ動けるな」というくらい様々な場所に出没し、勉強もしている。無能な社員ほど何でもない成果を針小棒大のように叫ぶ。
部下はリーダーの指導力の結果だ。部下の無能はリーダーの無能を顕している。それでも見込みのない社員はリーダーの責任で組織から放逐するべきだ。実績のない社員ほど組織にとって有害な社員はいないからだ。「早く辞めてくれないかな」といわれる寂しい社員には成らないように指導する義務がある。 腐ったりんごは同じ籠に入れてはいけないのだ。
                                                         社長 三戸部啓之