[ 2021.8.1. ]
289号-2021.8.25
社員の採用面接は難しい。各社色々な工夫があるようだが、当社では
書類審査 ⇒ 適性テスト・常識テスト ⇒ 一次面接 ⇒ 二次面接
というオーソドックスな方法を採用している。事務系社員は比較的この方法で予想値が外れたことは少ないが、こと営業系社員となると中々うまくいかない事が多い。明らかに向かない社員は論外だが、平均的なレベルでの判断はあたりはずれもある。
応募者は、それなりの面接時の応答ノウハウを身に着けているし30分程度の面接では見抜けない。太鼓判を押すような応募者でも、採用後、鳴かず飛ばずの社員もいるし。どうかな?と思う応募者でも場外ホームランを連発する強者もいるからだ。企業戦士として採用し、面接では意欲満々、向上心も旺盛、自己PRも完璧に演技したはずだったが、数年経過すると、面接時の口舌は何処へやら、カヨワイ子羊になってくる。真っ先に覚えるのは業務内容ではなく、有給休暇の取得手続きと経費の精算の仕方だ。
昨今の就職戦線では、学生の応募基準は「残業がない、仕事がきつくない、休みが多い」だそうだから無理もない。それも同期同士SNSなどで情報の交換を頻繁にしているから始末が悪い。採用側からすれば唖然とし、騙されたようだ。
つい80年前、「末は博士か大臣か!」と青雲の志を持つ青年が普通だったと聞いている。貧しく、国民全員が坂の上の雲を目指していた時代だった。今なら顰蹙(ひんしゅく)者だが、それを象徴するように、「貧乏人は麦を食え!」と言って、後に総理大臣になった大蔵大臣もいた。
それが今では総変わりになった。働かなくても食える時代になった。マスコミは定職につかないものを「フリーター」という言葉で正当化した。
最近、為政者は「年金の危機を訴え始め、非正規雇用と言葉を変え正規雇用に切り替えよう」と必死だ。更に副業まで認め始めた。業務の専念義務は何処へ行った?飽食の時代では自己中心が当たり前になった。無能でも使えなくても、それでも解雇はご法度だから、泣く泣く自ら慰めるしかない。採用した以上、雇用責任があるというわけだ。労使関係では解雇の自由はなく退職の自由はあるという偏頗(へんぱ)な法制になっている。コレでは双務契約ではない。借地借家契約と同じ論理で弱者保護から貸したり、採用したりすれば、相手が自主的に出ていくか、退職するか我慢するしかないのが実情だ。しかも、教えてくれないからわからない!という反論がまかり通る時代になった。
先輩の背中を見て覚えろ!という時代ではなくなった。戦力になるまで教えるからそれまでは無給で授業料を払え!とでも言いたくなる。オジサンたちは、演歌でもないが「こんな私に誰がした!」と世をはかなむ世情になった。小説家の堺屋太一氏が現代を称して「3Yない社会」と喝破した。「欲ない・夢ない・やる気ない」を言うらしい。原因は超安定化による不胎化現象だという。本来は金融・経済の専門用語で、「不胎化」という名称は、金融政策を歪める可能性のある「種」を取り除くという意味だが、安心安全が苦も無く手に入る社会がその原因と考えられている。
ちょっと古いが、1975年2月号に文芸春秋に掲載された「日本の自殺」がある。論文の結論は、ローマ帝国は「パンとサーカス」によって滅びたと言うものだ。これをわかりやすく言うと巨大な富を集中し繁栄を謳歌したローマ市民は、次第にその欲望を増大させ、ただのパンを与えられて労働を忘れ、サーカス(剣闘士)に代表されるショーと娯楽に明け暮れるようになる。
その結果ローマ市民はそれまでローマ帝国を支えてきた「自立自助の勤労精神」を失っていき、周囲の蛮族の侵入によって滅ぶのだが、その前にすでにローマ帝国はシロアリで壊れたように形骸化し、勤労精神の極めて低い国になっていた。
わが国がそのような轍を踏まないためには、「自立自助の勤労精神」を失わないようにしなくてはならない。怖いのはそれが150年にわたって徐々に崩壊したことで、まさに我が国がその過程を踏んでいるとみることができる。こんな社会主義的な法制化では発展途上国に間違いなく抜かれ、国富が枯渇するのは目に見えている。2050年には中国のGDPの1/5しかない事もデータで予測されている。でも誰も動かないし、誰も疑問を持たない国になった。憂うべき事態である。
長崎にある大手F不動産管理会社では地元長崎大学の卒業生か、韓国の大学生しか採用しないと聞いている。かの国はご承知のように極端な学歴社会で、韓国財閥系企業に入社するのは相当優秀な学生しか難しく、それに落ちた学生を対象にしているので、下手な日本人学生よりも意欲や向上心が半端ではないらしい。日本語も6ケ月で完璧に話せるようになるし、宅建試験も入社年の試験で全員が合格するという。採用後の成績も上々で、当社も韓国での採用を勧められた経緯がある。一部の大学を除いて就職指導専門の部署があり、面接の仕方や履歴書の書き方まで教えるという熱の入れようだ。勿論、就職率を大学の売りにしている以上、対策は当然だし、ビジネスの観点からも是認できる。それに対する採用側は無防備に等しい。指定校制や性格テストぐらいしか客観的判断基準がない。まして、採用後のパフォーマンス予測は神業に等しい。
以前、そのような企業側の弱点をビジネスに生かそうと、リクルートが採用辞退学生のプロフィールを企業に販売し好評を博していたことがあったが、マスコミの集中攻撃にあい、敢え無く販売を中止した。学生の人権無視、職業選択の自由を阻害するというお決まりの論法だ。採用コストからみれば当然の対応措置だと思うが、人権尊重の渦の中に潰えた。
最近は事務職希望であっても採用企業は少なく狭き門なので、適性を度外視し「営業職」で応募してくることが多い。採用後「私は人と話すのが嫌いなんです!」と居直る強者もいた。「これって、採用条件と違う!」と言っても入社から半年もたてば解雇自体難しくなる。採用側のオジサンとしても困ったことになる。「営業もやりがいがあるよ!」とか言って宥めすかして変心するのは1割、後は事務職への異動になるが、話すことが嫌いだとはそもそもサービス業に就職すること自体無理がある。それでも若い女性はわからない。数年たつと昔言ったことなど忘れ、有能さを表すから目が離せない。しかし、男性の変身率は絶望的に低いから、これは早めに引導を渡すしかない。最近特にその手の若い男性が多くなったようだ。この手の男性は「ストレス耐性」がなく、問題が起こるとキチンと対応せず報告もせず放置するケースがある。それも入居者やオーナー様から指摘されて判明するから事後対応はかなり苦戦する。
所属上司の管理責任も重く、叱責の対象になるが、例のパワハラが頭によぎり指導に躊躇する。タイミングを逃せば「カスハラ」にもなる。最近では、コロナ禍により「リモハラ」なる新語も出てきた。リモートワークが当たり前になり対面する機会もなく、在宅で業務をするようになった。そこで上司はきちんと業務をこなしているかをチェックする必要が出てきた。リモートでパソコン画面でしか見えないから、必要以上に細部まで聞こうとする。それが、業務と関係ないプライバシーに抵触する事になりかねない。
当の社員も同僚との接触機会も少なく、相談する相手もいない孤立無援の精神状態になり、鬱の発生件数も増えている。パワハラの主原因はコミュニケーション不足だから、現下の実情では有効な解決策はない事になり問題となっている。
コロナ禍では非対面が当たり前になり、益々労務管理が難しくなってきた。同僚にも相談できず、仲間意識もできない。孤立化は避けられない。通勤し仲間と接触するから〇〇社に勤務しているという意識が芽生えるはずだ。名刺も不要になり、〇〇社の〇〇ですと言う必要もなくなるかもしれない。後は画面映りと表情がビジネスの要諦になるかもしれない。採用基準が容姿端麗になり、益々表面的な判断要素が主流になるショーウインドー型企業の時代になるかもしれない。
会長 三戸部 啓之