[ 2023.5.15. ]
310号-2023. 5
最近の就職活動をする学生は、読み書きはできるが、本を読まない、新聞を読まない、テレビも見ない、スマホで何でも済ますらしい。ニュースなどの情報は皆SNS、Facebook、Twitter、Instagramなどで得ている。そもそも40代50代の親が新聞を取っていないし本も読まないのだから、その子が紙媒体に馴染むわけがない。
日本新聞協会が発表した2022年10月時点の新聞発行部数は3084万部、新聞発行のピークは1997年で、その時の発行部数は5376万部、25年の間に2300万部余りが減少したわけだ。通勤電車の中で新聞を読むという朝の光景が姿を消して久しい。
今や通勤電車の中はスマホを見ている老若男女が殆どだ。外国人が見たらスマホを見ている人間ばかりで不思議な光景に写るだろう。紙の新聞は「昭和を感じさせる小道具になりつつある」と感じるのは老いたせいかもしれない。
そうは言っても新聞各社や出版各社が手をこまねいているわけではない。書籍や新聞の電子化に力点を変えているが、問題は漢字の長文に慣れていないことだ。それに伴い読解力も不足している。こうした学生は就職する会社に何を求め、どんな会社に勤めようとしているのか?就職雑誌や専門家は「楽しさ、個性が出せること、柔軟性と平等性を実現できない企業は優秀な学生を採用することが難しくなる」と言っている。
優秀な学生は、広くて快適な事務所で楽しく仕事をしたいと思っている。つまり自分の個性が伸ばせる好きな仕事をしたいと思っている。規則規律で縛りつけるのではなく、その社員の状況に合わせて融通の利く柔軟な対応をしてくれることを求めている。そしていろいろな差別のない平等を求めている。見方を変えれば、そういう彼らはいつでもどこへでも行ってやっていけるスキルがあるということになる。
企業側もその対応策として、時短をはじめ在宅勤務と副業を認めだした。建前は職場に多様性を入れ、従来の延長線上にない発想やイノベーションを求めるということだ。職務専念義務はどこへ行ったのか?企業側は、給与は所定の成果や業務拘束時間に対する反対給付ではなかったのか?という基本的問題が成果型評価やJOB型雇用で希薄になってしまった。
ではスマホ育ちの大多数の優秀ではない学生はどうなのだろう。同じスマホ育ちだから同じ価値観を持っているはずだ。優秀とは言えない90%の学生を受け入れる中小企業は、この志望動機に答えられるだろうか。洒落たオフィスビル位は備えられるかもしれないが、個性を重視した柔軟な働き方まで認めるだろうか?思い出してほしい。バブルの絶頂期の40年近く前、好景気で人が足りなかった時がある。学生は「自由と個性尊重、それに上下の差のない平等」を求めた。大学教授等の識者が「求めている!」と新聞雑誌に書いて世論をあおった。ビジネス雑誌は「ピラミッド型の組織はもう古い。社員が皆経営者で自分たちで考え、自分たちで決めるフラットな組織、そんな新しい会社が誕生した」と紹介した。上下関係のない平等で自由で個性を活かせる、会社の会議の模様やオフィスが写真入りで載っていたりした。日本国民全体が有頂天になっていた。
堅実な経営で有名な三菱地所でさえ、ニューヨークのロックフェラーセンタービルを買収したり、東京都の山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるくらい土地価格が暴騰し、多くのバブル紳士が闊歩し、国民がバブル景気に酔っていた時期もあった。
しかし、会社は軍隊と同類の目的追求型の組織である。そこには命令する人とそれを実行する人がいる。上司と部下と言う役割上の上下関係がある。この上下関係が堅固な会社が強い優れた会社である。自由・個性・平等では経営はできないし、仕事にもならない。雑誌がもて囃した新しい組織の会社は数年持たず解散消滅した。やがてバブルが弾け「自由と個性」を求める声も小さくなった。
歴史は繰り返す。失われた30年を契機に、日本経済の低迷は、また「自由と個性」がないからだ!と言われ始めた。少子化を背景に、「ここに来れば楽しいですよ、個性が生かせますよ」と学生を勧誘する案内書に入れる会社も現れ始めた。
大企業は希望に応えるため自由でのびのびと楽しく勤められる環境を整えられる。上司は優秀な人材に逃げられたら困るので、だらしない姿勢や聞き取れない小さな声ですら注意しない。中小企業がこれを真似る。出社退社時間を自由にし、在宅勤務を増やし副業を認める。バブル期採用の社員がいくつになっても指導力がなく使い物にならなくて頭を抱えた事を思い出してほしい。「楽しくて個性が出せて社員の要望に応えられる会社なら入ってもいいですよ」なんて言う学生は「こちらからお断りすべきだ」というのが本音だが、ストレートに言えないところがつらい。一昔前ならそんな希望者は初めから採用しないが、昨今、それを前面に出せば全く応募がなくなるだろう。これでは話にならない。
そうはいっても「入社後世間の風に当たれば、少しは現実を自覚するだろう」と、ハードルを下げ採用に進む。この辺が採用時のノウハウになる。家庭環境や両親の職業、年齢、家族関係、友人関係、大学生活、アルバイトの有無等を聞き出し、応募者の心底にある生き方や考え、過去の経験を聞き出すわけだ。
ところが最近の応募書類には両親・家族の職業欄や年齢などがないものが多い。個人情報に関する事だし、応募者本人の採用判断資料には不要だということらしい。そもそも、日常の何気ない話の中で、若い子に両親のことを聞いてもどこに勤めているか、役職は何かをきちんと答えられる者が少なくなったし、どんな仕事をしているのかなんて全く答えられない。家庭内で父親の職場なんて話題にもならないし関心もない事になる。父親も家庭で話題になることを好まないからだろう。家庭内で単なる給与運びの位置づけでは、偉そうなことも言えない。まして共働きが当たり前になっている中では尚更だろう。
家族団らんなんて言葉も死語になって久しいし、個食が当たり前になれば当然だ。家族ではなく単なる同居人にすぎない。家庭崩壊なる言葉もあるが現実味を帯びている。刑法200条「尊属殺人の重罰規定」が1973年に最高裁で憲法違反とされ1995年に削除されたのも思想の変遷を裏付けている。1951年に日教組が「教師の倫理綱領」で「教師は労働者である」と規定してから、1881年以来連綿と続いた「教師聖職者論」が瓦解した事も、長幼の序や希薄になった身分による上下関係も平等の嚆矢(こうし)となったのではないか。
会社組織でもフラット化が言われている。2015年に若者雇用促進法が施行され、採用活動の際に自社の残業時間平均や早期離職率などを公表することが義務づけられた。2019年には「働き方改革関連法」により労働時間の上限規制が大手企業を対象に施行された。さらに2020年「パワハラ防止法」が施行され、従来の当たり前だった職場環境が一変した。
新入社員を取りまく職場環境がよくなること自体は歓迎すべきことである。しかし、その結果として新入社員の育成環境は大きく変わってしまった。若手のキャリア育成の大前提であった「最初に入った職場でしっかり育ててもらう」事が難しくなってしまった。「最近の若者は・・・だから」で始まる「若者論」で回答する言説が多いが、若者論、世代論はいつの時代にもあった。
最近はZ世代が対象だが、かつては「ミレニアム世代」「ゆとり世代」「氷河期世代」「バブル世代」「新人類」といった名称で若者を呼んだはずだ。彼らが二十数年後、今度は反対の立場に立った。若者はいつの時代も同じであり、現在は選択肢が増え職場環境が変化したに過ぎない。若者は環境適応力が高い。最近このような「ゆるい職場」に対する疑問を持つ若者も増えている事実もある。大手企業の新入社員の週労働時間は2015年では44.5時間であったが、2020年では42.4時間と徐々に縮減しており、労働環境としては急速な改善傾向にある。週に8時間、月に30‐40時間の自分の時間が増えたが、それを自分のキャリアアップに使用しているケースが出ている。
アンケート調査などを通じて、仕事や会社に対する最近の若者の考え方を浮き彫りにすると、働きやすいはずの会社を若手社員があっさり辞めていくのは、自身が成長できない「ゆるい職場」だと感じているからだと言う。データ的にも若手で職業生活を自律的におくるパフォーマンスが高い若者ほど、退職する意向が強い。
配慮するあまり若手を全く叱れず、業務量も抑制するのはむしろ逆効果になる可能性さえある。管理職にとっては悩ましい現実であり、働き方改革が進む中で生じた新たな課題と言える。
会長 三戸部 啓之