[ 2024.2.1. ]
319号-2024. 2
営業というのは大変な仕事だと言われている。だから営業社員の募集採用には事務社員の数倍の費用が掛かる。売れる時間より売れない時間のほうが長く、顧客の矢面に立ち、外回りで東奔西走する。断られたり、不快な応対をされる場合も多く、かなりのストレス耐性がいる。新規飛込み訪問は、相手の時間を勝手に使う事になり、招かざる客になる。この厳しい新規訪問こそ営業の王道と言われるのも理由がある。既存の顧客基盤を拡張する為には、常に新規開拓が必要だからだ。更に社員の教育効果もある。勿論、相手の厳しい拒否反応にストレスが蓄積され退職に直結する事も多いが、応酬話法の実践訓練にもなり自分の商品知識を確実なものにすることができるメリットがある。昭和の営業が闊歩したビフォーコロナでは、何処でもやっていたことだ。新卒は3000本ノックと言い3000軒の飛び込みを課した一部上場会社のS社やDK社が有名だ。
アフターコロナでは、従来のアプローチ手法が見直しを余儀なくされている。当たり前だった対面話法が生理的に拒否され始めたし、見知らぬ第三者が他人の家にアポイントもなく訪問すること自体、不審者扱いされ警察沙汰になる可能性も出てきたからだ。足で稼ぐ営業スタイルは最早過去のものになりつつある。そこで登場してきたのは、電話営業であり別名アポイント営業ともいう形態だ。専門のテレアポインターにアウトソースし、アポイントが取れた段階で営業が自宅に訪問する形になる。三大新聞を使った広告や、テレビコマーシャルは年間数億から数十億の広告宣伝費が使える一部大手企業しか使えない手法だが、テレアポは予め対象を絞っている点とアポインター自体が一応の訓練をしている為、コスパは優れており、テレマーケッティングとしても有効とされている。セミナーも大きな会場に大人数を集客する形から、ニーズを絞った顧客を対象とする少人数のセミナーに代わったし、既存客からの紹介をメインとする営業に代わってきた。企業も自社の既存客をいかに大事にするかが、重要な戦略となっている。
既存客1人を失うことは、10人の新規顧客を失う事であり、既存客の一人を作るには10倍の新規顧客を作る労力と費用が必要とされるからだ。言葉を変えれば顧客の囲い込み如何が、企業の命運に直結する。既存客からの紹介を得るには、既存客の満足度を高めなければならない。不満を持っている既存客が自分の知り合いに紹介するはずがないからだ。いかに不満を取り除き、永続的な信頼関係を作れるかが必要だが、その基本的定理をきちんと体現している社員は少ない。
それどころか、自分の都合で仕事を処理し、責任は自責ではなく他責にすましているのでは、到底顧客からの信頼は得られない。全身全霊をかけて顧客サイドに立った動きが必要だ。その点では外資系生命保険の大手P社は全て紹介営業で成り立っている。一人一人の商品知識のレベルや顧客フォロー体制は他の追随を許さない。勿論入社数年で退職率80%と言われるほど厳しい会社だが、業績は右肩上がりで推移している。
営業という仕事を広く捉え、自社や自分の魅力を相手に伝えることだと解釈すれば、すべての人に営業力が必要だと言える。どこでも全員営業を標榜しているが、単なる意識付けか、イベントで動員するくらいで終わっている。
そういう私も営業職は初めから選択肢になかった。バイトも満足にしたこともない学生生活を過ごし、ちょうど大学紛争の時期に卒業した。麻疹のように当時「共産党宣言」や「資本論」を必読書と先輩に言われ、三木清の「人生論ノート」の輪読などグループでしたことがある。何回かグループに参加したこともあったが、難解でついていけなかった思い出がある。そうこうしているうちに卒業したわけだが、就職はせずに何となく「法学専攻科」に進んだ。
ボーとした2年間だったが、いよいよ社会に出る事になった。同級生はサラリーマンとしてバリバリ仕事をして、まぶしく感じられた。当時は四大卒の女子学生は珍しく「職場の花」としては就職も厳しい時代であった。仕事内容も「お茶くみ、コピー取り」等の事務の雑用が多かったようだ。更に25歳が寿退社の分岐点でそれを過ぎると、奇異の目で見られるため「寿退社」を理由に退職するのが一般的だった。その点から短大卒業生は勤務年数も四大生に比べ2年長く企業にとっては貴重な人材だった。
教授の紹介である短期大学に勤務することになったが、仕事も中途半端に思え1年で退職した。当時は別荘ブームの時でもあり不動産会社が脚光を浴びていた。不動産会社に勤める友人の給与が私の何倍もあり、仕事内容も聞くと自分でもできそうだと考え不動産会社に転職した。しかし、一応法学部出身ということで契約管理を担当することになったので、営業は経験していない。
投資不動産営業というのは馴染めず、やるなら建築営業だと感じていた。ある伝手で当時家電不況であった重電機メーカーが、家電販売のために子会社を作り、営業を募集しているという話を持ち込んできた。その重電機メーカーはある財閥系で関連会社を含めると20万人の従業員がおり、その従業員の厚生施策の一環として持ち家を販売すれば、設備機器平均200~300万の売上が可能だとみていたらしい。管理職も親会社の重電機メーカーからの天下りで現場を知らない理論家ばかりだった。家電製造メーカーの感覚で現場生産をメインとする個別需要に対応する術は全く異なっていた。そこで営業をしたわけだが、工事体制やアフター体制がキチンとできておらず、クレーム処理に追われる毎日だった。当然新規受注のモチベーションもなくなった。同系列の財閥系ハウスメーカーへの吸収合併の話も出ており、それを機会に前から話のあった大和ハウスに就職した。
当時大和ハウスは基本的に同業者からの中途採用はしていなかったので、倒産した永大産業から来たものと2名だけだった。その為社内では色々と注目された。約10年務めたが、7ヶ所を異動させられた。それも最悪の業績だった問題事業所ばかりだったが、その労苦は現在に生きている。
そこで学んだのは、建物というハードを売るという事ではなく、建物を建てることのメリットを具体的に示すことだった。自分の価値を相手に伝えることができなければ、人生を豊かにすることはできない。どんなに高い技術力を持ち、素晴らしい製品を開発したとしても、それを売ることができなければ企業としては成り立たない。貴重な研究を成し遂げたとしても、それを多くの人に知ってもらい、使ってもらわなければ、社会に与える影響は限られたものになる。同じ内容を話しても、ボソボソと何を言いたいのかわからない人もいれば、説得力のあるプレゼンテーションにしてしまう人もいる。営業力は、人生において、社会において、成果を残すために必要不可欠な力なのである。また営業は達成感を味わえる仕事でもある。顧客の「ありがとう」に直に接することができるのが営業担当者の役得だ。お金をもらって感謝される最前線に立つ営業担当者は、お金には代えられない心的報酬を得ることになるのである。この顧客からの報酬が何とも言えない達成感をもたらしてくれる。もちろん、売上や利益という数値目標があることによって達成感が味わえるという側面もある。
職種を問わず全ての仕事に目標はあるわけだが、簡単に数値化できる営業の目標は、達成・未達成が明確なことがそれを後押しする。この「目標を立て、その進捗と結果が明確になる」という事実は、営業担当者のモチベーションにおいて非常に重要なことである。
人間は目標を持ちその達成度が明確になるとき、ついつい頑張ってしまうものだ。スポーツやゲームと同じである。そして自ら目標を立て、そこに向かって自ら努力していく能力、つまり「目標設定力」と「自己発動力」は、プライベートにおいても充実した人生を実現するために必要な能力ともいえる。この貴重な力を営業活動を通じて身につけていくことができるのである。我が拙い経験を通しても言える真実だ。
会長 三戸部 啓之