[ 2024.3.1. ]
320号-2024. 3
かの孔子によれば「六十にして耳順う」、齢60歳は、年齢的には人の言葉に素直に耳を傾けるようになる年になった訳だ。しかしながら、まだ、そのような境地には至らず、人の言葉には素直に聞ける場合とそうでない場合がある。この年齢になっても「悪い評価はなかなか受け入れられない」だけでなく、「良い評価も素直に『ありがとう!』と言えない」ところがある。そこで、孔子先生ではなく、現代の先生(?)であるChatGPTに「人の評価が気になる場合はどう対応したら良いのか?」を質問してみた。すると、以下のような対応方法をアドバイスされた。
- 1、自己受容: 自分自身を受け入れることが大切です。他人の評価に左右されず、自己価値を認めることが自己信頼を高めます。自分に自信を持つことが、他人の評価に対する影響を軽減します。
- 2、目標設定: 自分の目標や価値観を明確にしましょう。他人の評価に左右されず、自分の目指す方向に集中できるようになります。他人の評価は一時的なものであり、あなたの人生の全体像を反映するものではありません。
- 3、批判を受け入れる: 他人からの批判や評価は避けられないこともあります。批判的な意見を受け入れ、建設的なフィードバックを受けることで、成長する機会に変えることができます。ただし、すべての批判に過度に反応しないようにしましょう。
- 4、健全なコミュニケーション: 他人とのコミュニケーションは、自分の意見や感情を伝える手段でもあります。他人の評価が気になる場合、オープンで建設的な対話を通じて、誤解を解くことができるかもしれません。
- 5、自己認識の向上: 自分自身をより深く理解し、自己認識を高めることは、他人の評価に対する強さを養うのに役立ちます。自己分析を行い、自分の強みや弱みを認識しましょう。
- 6、心の健康: ストレスや不安が他人の評価に敏感に反応する原因となることがあります。心の健康を維持するために、適切なストレス管理技術やリラクゼーション法を実践しましょう。
- 7、サポートシステムの構築: 友人、家族、カウンセラーなど、信頼できる人々との関係を築くことは、他人の評価に対処するのに役立ちます。彼らとの会話やサポートを通じて、気持ちを共有しましょう。最も重要なのは、他人の評価があくまで一時的なものであり、あなたの価値や幸福感を左右するものではないことを理解することです。自分自身を尊重し、自分の人生をコントロールし、他人の評価に振り回されないように心がけましょう。
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「そうだな!」と思いつつ、なかなかそれができないから、60になっても耳順うとはならない事になる。自分に対する悪い評価を素直に受け入れられない人は多い。一方で、良い評価に対しても、素直に「ありがとう!」と言えない人も少なからずいる。謙虚さと尊大さは紙一重でもある。この点、大谷選手やイチロー選手のように、誰から見てもすごい実績を残している人が周りから称賛されても「いやぁ、まだまだです」といった発言をするのと、何が違うのか自問自答してみると、他者の良い評価に対しても素直に受け入れていないようにも見える。それは日本人独特の謙虚さにも通じるし、奥ゆかしいとの評価にもなる。欧米人のように、「自分の努力の結果で当然です!」と言えば、高評価がバッシングに代わることは明白だ。自ら一段低いところに落とすことが美徳とされている。つまり村落共同体のDNAを持つ日本人は、仲間から抜きでる事は禁忌になる。乏しい獲物を均等に分け、ひもじさも豊かさも一緒に体感する事が必要だった。それが奥ゆかしさに繋がり日本的様式美となった。
近代以降、日本は明治維新と敗戦という2度の外圧による変容を経験している。明治維新は自発的変化ともいえるが、敗戦はグレート・リセットと呼ばれるぐらいの大変化だった。新しい価値観として「アメリカ文化」が入ってきた。折につけ「日本的なものは悪だ」と、残すべき良い過去の残滓はたくさんあるが、1945年にそれまでの日本を全て否定し、「アメリカではこうやっている」と無自覚に合わせてきた。新自由主義的な風潮の中で自我だけが拡大した。その結果、従来の感覚でいえば異端者とでもいうべき「我関せずという」人間を輩出した。
先の例では、大谷選手やイチロー選手は「他者の評価をいちいち気にしていないのでは?」という答えもある。大谷選手などは「自分なりの判断基準がある」「他者の判断基準は自分とは異なる」ということになる。人の意見や評価に振り回されない事でもある。それは諸刃の剣でもある。彼らのような天性の素質を持ち、尋常でない努力の上に築いた栄光だからだ。試行錯誤を繰り返し、悩み改善した結果なのだ。他人からの評価で左右されるのではなく、自分自身の評価で軌道修正をし、改善し成果に結びついたはずであるからだ。
我々普通人はこの「他人の評価を気にしない」というのは、唯我独尊に直結し鼻持ちならない人間になる可能性がある。それが近年の倒錯した自由主義と結びつくと「他人の迷惑を考えずに自分勝手に行動する」傲慢さに繋がる。
自分自身を心理的に拘束する自制心が欠如した人間が野放し状態になり、それを規制する「他人の評価」が、なくなれば統御できなくなってしまう。無目的な群衆の集団と化してしまい秩序無き社会の出現だ。昭和30年代の「おてんとうさまが見ているぞ
!」という縛りもなくなって久しい。通常人レベルでは他人の評価を意識し自分自身を振り返ることは必須なのだ。それを咀嚼するだけの素養と素直さが必要という条件付きだが。先の大谷選手等の例では「すごいですね」「すばらしいですね」と言われても、それが正しいとも間違っているとも判断していない可能性がある。
普通、自分に自信があっても、人から評価されないと自信は揺らぐ。いわゆる承認欲求だ。しかしながら、一流の実績を上げている人は「自分なりの判断基準がある」「他者の判断基準は自分とは異なる」「良い評価も悪い評価もそれはそれとして受け止める」「自分の信じていることを愚直に実践し続ける」のかもしれない。つまり偉大なプロは全てが自己責任だからだ。
普通の人間が他者の評価を気にするということは、自己の行為の帰結を自己責任ととらえないからだ。判断に自信がないから他者の意見を欲しがる。他者の意見に従容しなくとも自己の判断の正当性を補強することで心理的安全性を得られるからだ。
ところがイノベーターは違う。自分の考えが反対されても確固として歪曲しない。失敗や陥穽があっても突き進む事が、誰も気が付かない大きな成功につながる。スティーブ・ジョブスや奇人変人と言われる人たちもその類になる。
このように考えてみると、我々通常人は、前述のChatGPTの答えである人の評価が気になる場合は
1.自分自身を客観的に見る 2.他人からの評価を受け入れる 3.評価を適切にフィルターする 4.自分自身に自信を持つ
が大切であるというのは妙に腹落ちする。
自分を突き動かす原動力である「心意気」を言語化して自覚すれば自分自身を客観的に見られるようにはなる。他人からの評価を受け入れ、その評価を適切にフィルタリングするには「他人の評価をいちいちジャッジしない」というのがいいかもしれない。これを「伸びしろ」と感じるのか、「まだ、そんな状況なの」と解釈するのは、あくまで自分次第だということになる。他人の評価が気になる場合、解決の出発点は自己認識力を高め、自分自身を客観的に見られるようになることだ。
会長 三戸部 啓之