321号-2024. 4

[ 2024.4.1. ]

321号-2024. 4

横浜市にある秋山木工の仕事は注文家具業界で、最高の技術を誇っており、迎賓館や国会議事堂、宮内庁、高級ホテル、一流ブランド店などで使われている。
ある社長は、秋山社長とは「日本を美しくする会」の掃除仲間で、築地市場のトイレ清掃の時に、若い社員が正座をして3分間位早口で、自分の仕事に対する考え方、目指すもの等を話してくれたそうで、その話し方や態度が立派なのにびっくりしたそうだ。

秋山木工の「人づくり」は、「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」でも何回か放映されているが、若い女性でも、坊主頭で仕事をする。丁稚期間は合宿のせいか、恋愛、スマホ禁止等の規則もある。

秋山社長の「人生を輝かせる親孝行の心得:PHP研究所」の本の中に、「職人は、技よりも人間性が大事」と最初の5年間は丁稚期間とし、技術的な訓練よりも、人間としての心構えや生活態度、礼儀、感謝、尊敬、謙虚さ、周りの人への心遣い、気遣いと言ったことに育成の重点を置く。

  • 1年目:丁稚見習い、2~ 5年目:丁稚(丁稚奉公)、6~8年目:職人、9年目:独立というキャリアプランだ。

 

丁稚奉公期間は2回風邪をひいたら減給、3回目はクビになる。自己の健康管理ができない人間に技術に対する厳しさはないということになるからだ。しかも秋山社長が、人間性を認めない内はいくら技術があっても職人とは認めないそうだ。

人間性の基礎は親孝行で育まれる。親孝行ができれば技術は後からついてくるという。親孝行を続けていれば、必ず誰でも一流になれる。親を大切に思わない人は基本的に自分のことしか考えていない。親を超えるのが最高の親孝行。何のために家具作りを学ぶのか?それは親を喜ばせるためだと気づかせ、親を喜ばせるからこそ本気になれる事を入社初日のその場でわからせることが肝要だとされる。そしてお客様に対して自己紹介で「多い時は1日3回以上両親を喜ばせます」と言うと、心にすりこまれ本気になるそうだ。
このほかに「親孝行、心得20ヶ条」が書かれている。その社長も4月21日から5月20日を親孝行月間と定め、新入社員は初めての給与で親が喜ぶプレゼントを買い、親に直接手渡しする。

親に対する口上は経営計画書に書いてあり、父親、母親役を上司が演じ事前に練習するという。口上を言いながらプレゼントを渡すと、父親は照れるが、母親は涙を流すそうだ。この姿を見て「人に喜ばれることが自分の喜びなのか」と言うことに気づいてもらう。親孝行の強制は社員の意識を変え、人として成長させる。こうすることで、すべての社員は、お客様や仲間に対して感謝すること、お礼を言うことの大切さに気づき学ぶ。人づくりこそ経営者が1番しなければならないことだとわかる。それは外部ではなく、社長が中心になって取り組むべきことだ。

 

令和の時代にマスコミが、なぜこの時代錯誤的な企業を取り上げたのかという疑問がある。一般的な常識でいえば、まず一番先に淘汰されるべき「あってはならない企業」に位置づけられるのではないか。表面的な解釈では、超ブラック企業ともいえ、個人の人権など端から放擲している企業になる。番組制作者は、ここに30年近く低迷する日本経済の解決策を見出したいのではないか。

大量生産大量破棄が前提となる近代資本主義社会は、地球環境の観点から見直しが進められている。使い捨て社会からの脱却だ。大量消費大量破棄が必要だった生活文化を改め「長く使用する」のを美徳とする文化が必要だ。その為には品質にこだわる必要がある。

 

一機入魂という丁寧さが求められる。そこには納期という観念も希薄になる。あるものを買うのではなく「欲しいものをできるまで待つ」という意識の変化が必要だ。そこには生産者と消費者という関係はない。社会構造そのものがコペルニクス的転回になってしまう。従来の経営学や経済学、雇用関係がすべて否定されるようになる。労務に対する賃金という図式が成り立たない。原価計算自体も成立しないから、価格自体も一律ではない。生産者がつけた価格にその価値を認めるか否かが購買動機になる。価値を認めない人には売らないだろうし、まして価格交渉なんて自体が起こりえない。

 

今回の家具をとってみても、一生モノとしてみるならば、先ずその品質がポイントになるだろう。従来欧米では家具は代々引き継がれていたものだ。それが家族の絆になっていたり、先祖をしのぶよすがになっていた。家具は耐久性に優れ家族の年輪が刻まれていた。この物質文明の見直しが、現在の日本に求められていると理解できよう。秋山社長は1943年生まれで敗戦後の飢餓の時代を経験してきた点も自己の深層に刻まれていたのではないだろうか。

「もったいない文化」である。戦後80年を経て見直されてきたのだ。日本の精神文化の変化は常に外圧が必要だったと歴史上いわれている。ペリーの黒船来航による明治維新と第二次世界大戦後のアメリカ占領軍による「アメリカ文化」一辺倒の文化だ。それが令和の時代になって地球環境の観点から見直されてきたわけだ。家具という職人気質を一番体現できるものに、精神的支柱を付加したと考えることができる。

経営学や労基法がマダマダ20世紀の資本主義社会の楔(くさび)から脱せず、旧来型の組織論、労働者の人権とか時短とかマーケティングとかで現在の病理を解析しても正解は出ないだろう。その点、秋山社長の経営方針は、それを先んじているといえるのではないか。

「技術的な訓練よりも、人間としての心構えや生活態度、礼儀、感謝、尊敬、謙虚さ、周りの人への心遣い、気遣いと言ったことを育成の重点に置く」のは、もはや商品ではなく作品なのだ。作品だからこそ、生産者ではない作者の心構えがポイントなのだ。使用者の用法を想定し、配置を確認し、家族構成を想定して何が最適かを作品に表現する一品生産なのだ。技術を優先することはいずれ機械に置き換えられてしまう。家具も単なる生活上のパーツにすぎないものなってしまう。パーツならばいつでも取り換え可能だ。愛着もない、歴史もない、使用が終われば単なるガラクタにすぎない。不要不急のものがあふれるのが、今までの生活だった。それを見直し契機となる企業が秋山木工という企業なのだ。従来の生産者思考の経営者は理解出来ないだろうし、今はやりの自由尊重や人権意識に洗脳されている社員は到底勤められないだろう。

以前当たり前だった「石の上にも3年」という諺はどこに行ったのだろう。昭和世代の人間には新しい技術や職場に入る以上、ある程度の我慢期間は必要だと教えられてきた。職場の人間関係等赤の他人がいる以上、ギグシャクするのは当たり前だ。入社して短期間に退職したいといえば、親にも「バカ野郎!」「そんな甘ちゃんに育てた覚えはない!」と罵倒されたものだ。まして「フリーターなんぞ近所に恥ずかしいから家からでるな!」とまで言われたはずだ。フリーターなんて言葉は転職企業のリクルートが作った言葉だ。昔はプータローと言われマスコミも無職と報道した。無職は無頼につながるアウトサイダーだ。以前は採用面接でも2回以上転職した応募者は書類審査で落としていたはずだ。それが今ではキャリアアップとか綺麗事で報道されるから、実質キャリアダウンでも当の本人は自分の至らなさを自覚できない。転職企業は転職させることが企業目的だからあの手この手で転職させようとする。それに乗せられた人間こそ被害者ということだ。政府も雇用の流動化などで旗を振るから、本来の趣旨とは全く異なるキャリアダウンの低スキル労働者の増加になる。自己責任と言えばそれまでだが転職企業の責任は重い。

 

                                                                                                                                          会長  三戸部 啓之