199号-2014.2.25

[ 2014.3.5. ]

199号-2014.2.25

 

近、「ブラック企業問題」が様々なメディアで取り上げられている。一般に過酷な労働条件で働かせる企業を指すらしいが、定義が曖昧で見極めが難しい。

 

厚労省は2013年4月から若者を積極的に雇用・育成する企業を公表する「若者支援企業宣言事業」を開始した。この条件に該当した企業は「若者応援企業」という名称を使ってPRできることになっている。該当企業は「ホワイト企業」としてのお墨付きが得られる。

 

2013年10月時点で国内4375社が宣言している。神奈川労働局関内では12月17日現在「若者支援企業」として78の企業が宣言登録している。ブラック企業として取り上げられる事が多い飲食・宿泊・娯楽関係の消費者向けサービスでは、たった9社、建築・不動産関係でも11社しか登録がない。
制度開始以来1年未満ということもあるが、上場企業は勿論、地場の有名企業や高収益会社は一社もなく、かなり小規模な企業が登録されている。つまり登録することでハローワークが積極的に登録企業をPRしてくれるので、採用活動に有利だと判断したからに過ぎない。その宣言基準は、労働関係法規に違反していない、事業主都合による解雇または退職勧奨を行っていない等の7つがあるが、通常きちんと労務管理をしている企業ならば高いハードルではない。これで国が企業に非ブラック企業のお墨付きを与えることになり、中小企業にとっては募集上、大きな助け舟になる。

経産省も負けてはいない。2012年度から女性や高齢者、外国人等多様な人材が活躍している企業を表彰する「ダイバーシティー経営企業100選」を実施している。その中から資生堂やサントリーホールディングス、日産自動車など女性が働きやすい代表的な25社を紹介した、「ホワイト企業」という同省監修の本も出版した。その殆どが、新卒学生の人気企業ベスト100に入る企業ばかりだ。

しかしこれらの企業に入社するには、最低でも「MARCH」クラスの大学でなければ、おぼつかない。先輩からの勧誘もあるだろうし、様々な機会やルートを使って企業情報はきちんと入手しているので、あえて、経産省が税金を使って小冊子を作るまでもないだろう。

誰に何のためにするのかと言う疑問は残る。うがった見方をすれば、選に漏れた約3500社という上場企業に対するアンチテーゼとしての意味があるかもしれない。

問題なのは、中小企業に対する採用活動に冷や水を浴びせたことだ。最近、意欲を持った学生が大企業の一歯車になるより、中小企業で自分のスキルを伸ばしたいという風潮が一部で見られたが、労働環境に過度に国家が介入することで、両親(母親)によるバイアスがより過激になることだ。「折角○○大学を卒業したのに!親の苦労がわかっていない」という訳だ。そのせいかどうか不明だが、公務員志望等の安定志向の学生が増加している。

これらの施策の背景にあるのは「厳しそうな仕事は何としてでも避けたい」という学生が増加しているからだ。就職支援の「マイナビ」が今年来春卒業見込みの大学生に行った調査では、職業観は「楽しく働きたい」が約30%で第一位、「行きたくない会社は・・」の質問では「ノルマのきつそうな会社」が昨年より増え第二位となった。こんな職業感を持つ学生は世界中何処を探しても日本だけだ。

これは1960年代ごろからの現象とも言える。高度成長下の猛烈サラリーマンの時代で、その多くが父親不在の母子中心家庭になっていた。ここから子供たちは、学校でも家庭でも「女性に教育される時代」になった。また「強い男より優しい男」がもてはやされるようになった。男女の関係は益々女性主導、女性優位へと進んでいく。皇太子が「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします!」と語られたこともその事実を象徴している。優しい男(軟弱な男)には子供の教育は難しい。

そういう男は家庭でも会社でも日和見で、決められた仕事は無難にこなすが、リスクをとるようなことは上手に避ける。子供の教育こそ人生最大のリスクからだ。勿論社内でリーダーシップをとるような事もない。殆どの女性は「強いけど優しさのある男を好む」それは、かっての日本男子ではなかったか! 欧米人と違い、その強さや優しさを表現する稚拙さはあったが、本質的にはそれが男子の本懐というものだった。

だから、そうではない家庭の夫は妻から見れば単なる同居人に過ぎず、子供には「決してパパのようにはならないで」といわれ、「パパを超えて」と自分自身を子供に投影させている。パパのDNAを半分受け継いでいるのに、それを忘れている。だからこそ、そのDNAを払拭したいからかもしれないが・・。
今までのような「人生の成功方程式」が、ある一部の人しか通用しなくなっても、幻想を抱いている親は多い。このような風潮には様々な社会学者や学識経験者といわれる人々が、警告を発している。
30年にもなろうとしている日本経済の低迷の原因が起業家やチャレンジ精神の不足だということだ。

大手中小を問わず、その意識さえあれば何処でもチャレンジすることはできるが、イノベーションやチャレンジ精神の風土作りを応援する政府が自ら、時間枠や休日枠を規制する事は矛盾している。
それらの精神風土は「はい、時間が来たからまた明日で・・」というわけにはいかない。
寸暇を惜しみ寝食するのも忘れて、没頭することが必要だ。失敗を恐れていては、成果はおぼつかない。言うまでもなくグローバル経済の中では、数十億人という人々との競争下にある。
そんな軟弱な日本人ばかりだと、いずれは亡国に至るのは間違いがない。

公平な競争による格差社会を悪だと捉えているから、今の日本経済の低迷がある。いつから我々は成果を見ずに、経緯ばかりに注目するようになったのだろう! 成果という結果を見なければ、格差もないし、みな仲良しクラブだ。ただしそれで会社は倒産せず、給与も保障されれば問題はない。
 成果という果実が努力に応じて得られるから,頑張るのだ。人類の壮大な実験といわれた旧ソ連の共産主義の崩壊を見ればよい。その理想郷も70年で潰えた。

ある政治家が「国民総生産」を指標とするのではなく「国民幸福指数」を指標にするべきだといったことがある。その国を理想国家だとし、ツアーもかなり作られたが数ヶ月で霧消した。当たり前だ! 他との比較ができない生活レベルでは、今の生活が一番だと認識する。情報が制限された中で人間は最低限の生活ができれば、それが幸福だと認識し国家側もそう教宣活動をする。訪れた日本人は、あまりの生活レベルの低さに驚愕したらしい。わが国でも戦前多くの日本人がそう思っていたし、鎖国化している幕末期でも外国からの文化や情報が入らなければ開国はなかった。現在のような情報が氾濫する中では、それを自ら取捨選択する事が必要だが、視座の高い判断基準が要求される。「社会人としての自覚と責任」の視点だ。「一人前の社会人としていかにあるべきか」が自立することの意味である。

「法律違反するような企業は淘汰されるべき」だが、「労働環境に気を取られるあまり仕事のやりがいを軽視しがち」なのではとの指摘もある。仕事を覚える時期に、必要なスキルを身につけないと自分のキャリアに不利になるのは間違いがない。誰かがしてくれるのではない、自分の人生設計に必須なのだ。

そんな学生に対し、仕事の厳しさを前提に、あえてネガティブな情報を提示する企業も出てきた。「新生銀行」は会社説明会で「時にはがむしゃらに仕事に集中することもある。当然残業もある」「仕事は大変であまり苦労したくないなら入社しないほうが良い」と小気味良い。こういう企業が恒常的に輩出してこそ日本人と日本国が初めて世界から「大人の国家」として扱われるに違いない。

我々中小企業も、いつも顔色を見て募集活動するのではなく、堂々と「来たれ意欲のある若者よ!」というべきだろう。自分で判断して責任を負うことができる社員の集合体こそ「社員が満足できる会社」ということができ、形式的基準で「ブラック企業」と括るべきではない。

  社長 三戸部 啓之