[ 2025.1.1. ]
328号-2025.1
顧客思考と言われて久しいが、中々実務で定着する事がない。
先日も当社主催のオーナーバス見学会でこんなことがあった。発車時刻は8時、集合は7時30分の案内だったが、参加者の一人であるKさんが、集合時間10分前に到着された。勿論バスはすでに待機していたが、Kさんは、バスに乗ることができず其処で待たされてしまった。バスガイドもバス座席表がない為、案内に困り乗車させたくともできず、当社の担当が来る迄、放置せざるを得なかった。結局当社担当者が来たのは集合時間きっかりの7時30分だった。現代の若者からすれば、予定通りの行動でなんの悪びれた処がない。待たされた顧客からすれば担当なら集合時間があっても早めに来て待機しているのが普通だろう!という事になる。まして悪天候下なら立腹する程度はもっと大きかっただろう。今の若者にはその辺の気配りとかはなく、下手に注意すれば、だったら7時までに来いとか、指示をするべきだ!と反論されてしまうから厄介だ。言われたことだけしかできない単線思考になる。
もう一つ事例を挙げておこう。当社では、物件を管理させてもらっているオーナーには、毎月収支明細書等を送付している。
今回5月のGWと重なり収支明細書の送付が遅れたので、オーナーより問い合わせがあった。勿論収支に記載されている金銭は、所定の期日に送金されている。調べたところ、本件は16日発送、郵便局は土曜日曜休みで火曜以降配達到着は5/20、21日となっていた。通常時期なら遅延はなく連絡している期日通りに到着している。ところが郵便局では通常郵便は土曜、日曜は配達しないことになっている。担当者からすれば家主WEBで掲載、1月と4月に収支明細書で発送が16日になってしまうことを同封した。だから当方に落ち度がない?との抗弁だ。よく見ない方が悪い!との言い方にもなる。
これでいいのだろうか? 当社でも口を酸っぱくして言っていることがある。「相手に言っただけでは足らない、相手が理解して初めて伝わったという」まして相手の領域に行ったというだけでは伝わったことにはならない。それからすれば、前月にでも電話するなり、訪問するなりして対面で了解してもらう事が必要になる。忙しい業務中でこれをすることは厳しいが、こういう小さな事をきちんとする管理会社社員こそ顧客から評価されると肝に銘ずることだ。一事が万事でこういう事ができる社員がいる会社は、他のことでも丁寧に進めているはずだからだ。
置手紙やメールでも、きちんと内容を伝えることは意外と難しい。置きっぱなし、言いっぱなし、が当たり前ではいけない。帰社時に電話一本でもすれば済むことだが、こんな誰でもできることができない。たったひと手間加えるだけで担当者の評価は格段に上がるはずだ。民法学でも到達主義と了知主義の論争がある。スピードを重んじる商法では原則到達主義だが、私人間の調整法である民法では了知主義が原則となる。法解釈論を持ち出すまでもなく我々のビジネスでは相手が理解して初めて成り立つ点を忘れてはならない。下手な理屈を持ち出し自己正当化を図っても何の利益も生まない。特に今風の若者は先ず弁解から始まるので注意する必要がある。
社内メールでもこんなことがある。
『貴職の出張中に●●部長に同行した●●氏から連絡があり、アポイントの予定に一部変更があって、なんでも先方の担当役員が急病のため急遽部長代理と面談したが、その席には部長代理だけでなく副社長も来ていたそうで、こちらの提案にはかなり関心をもってくれたとかで、今後としては・・・・』
大体、平成令和時代の若者には、貴職なんて言葉を使うこと自体が「え?」って思うだろうが、とにかく文章が「長い!!」。息継ぎができない。一回読んだだけでは頭に入らない。
特に法律家の人たちはこのような感じの長い文章を書く傾向にある。昭和時代の法学部での基本教科書でも息継ぎが長い文章には閉口したものだ。記憶に残るのは、当時法学部での刑法の基本書と言われた東京大学の団藤重光教授の書いた「刑法綱要総論、各論」だ。団藤刑法とも言われた当時の名著だ。難解なうえに行間が深く、おまけに総論各論と合わせ約1200ページもある大書だ。もちろん自分の知識のなさと頭の悪さも原因だが、悪戦苦闘した思い出がある。ここで徹底されたのは論理的記述の大切さだ。三段論法とも言われた考え方だ。論理的矛盾がないよう徹底的に推敲される。前提(要件事実)があり、いかにしてその結論に至ったかを詳細に書くことが求められる。ならば、どうしても文学的表現や感覚的表現は排斥されるから,ガチガチの文体になるのは仕方がない。小説家からは悪文の見本みたいに言われる文章だ。ビジネスではこういう文章は基本的に忌避され、簡単明瞭にわかりやすく結論から書くことになっている。理由は結論を聞かれてから言うことになる。これがきちんとできないと理屈っぽい奴、面倒な奴と評価される。
当社では対外的文書は、しかるべき社員に添削してもらってから出すようにルール付けしているが、中々徹底できていない。そこには自分のプライドもあるだろうが、平成令和の若者は間違いを指摘され謙虚に受け止める姿勢がない。滾々と説明して納得いく迄時間を掛ければいいのだが、忙しいビジネスマンには難しい。ましてツイッターのような140字の短文と絵文字に慣れていれば猶更だ。語彙が貧弱な中では表現方法も拙劣さが目立つ。解決策の一つとして、一つ一つの文章を短く区切るだけで全然読みやすさが違ってくる。前の例でいえば、こんな感じだ。
『貴職の出張中連絡がありました。
アポイントの予定に一部変更があったそうです。
なんでも当初面談予定だった先方の担当役員が急病で欠席し、その代わり急遽、部長代理・副社長と面談したそうです。
先方の副社長はこちらの提案にかなり関心をもってくれた様子だったそうです。
今後としては・・・』
読み手の事を思えば、ごく普通のことだが、それで自分の意図が誤解なくスッと相手方に通じればこれほど良いことはない。このように、できるだけ小さく小分けにすると良い!受け手側の内容の整理が簡単にできるからだ。文章が苦手なら、4W1H式の箇条式に書くのも良いかもしれない。
文章的には体をなさないが、意思伝達機能としては間違いがないし、誤解も少ない。
さらに、送った文章を電話で確認すれば完ぺきだ。人類が発明した最大の功績は言葉と記録に残す機能のある文章だ。人間関係の基本は全てこの二つから始まる。もめごとも争いも全て起因している。まして利害の絡むビジネスではこの二つのでき如何で決まってしまう。何気なく使っているこの二つの手段をもっと真剣に磨き体得する必要がある。こういう基本的なことをきちんとしている組織こそ顧客の信頼を得ている企業ともいえる。社員教育の重要さを改めて認識してほしい。
アーバン企画開発グループ相談役/合同会社ゆいまーる代表社員
三戸部 啓之