263号-2019.6.25

[ 2019.6.1. ]

263号-2019.6.25

 

「ゴーン・ショック」として今まで聖域だった「系列の解体」に始まり「コストカッター」と異名をとったゴーン改革「日産リバイバルプラン」で劇的なV字回復ができた経営者だった。

日本興業銀行(現・みずほコーポレート銀行)出身の川又克二社長他歴代の経営者が、「ストライキ破り等」労使対策の切り札として自動車労連(日産労連)の塩路一郎会長を重用した。彼は小説にもなった「労働貴族」の名をほしいままにした。ついには日産社内では、労組(=塩路)の同意がなければ人事や経営方針が決められないほどの影響力を行使し、「塩路天皇」と呼ばれた。1977年6月、社長に就任した石原俊氏は「労組(=塩路氏)の経営介入がある限り、日産に21世紀の繁栄はない」と考え、労使関係の是正に乗り出し、1984年1月20日発売の写真週刊誌『FOCUS』(に記事を売り込んだ。記事は「日産労組『塩路天皇』の道楽-英国進出を脅かす『ヨットの女』」と衝撃的だ。若い美女と自家用のヨットに乗った塩路氏の大きな写真が載ったが、「何処が悪い!」と開き直られる事態に終わり、それ以来マスコミは沈黙した。

1981年ミッテラン大統領の就任記者会見で意地の悪い記者が「彼の隠し子」のことを質問したところ、「Et alors ?(それが何か!)」と就任と関係がないと即座に切り捨てた事が思い出された。フランス人ならでの言葉だが、権力者の居直りに弱い日本のマスコミと文化は何処でも同じだ。

労働組合と経営陣の確執が、日産の長期業績低迷につながっていたことは否めない。かって「技術の日産、販売のトヨタ」と標榜された時代もあったが、「技術もトヨタ」になってしまっていた。

当時の日産は2兆円もの膨大な有利子負債を抱えていた。1996年に社長に就任した塙義一(はなわ・よしかず)氏は提携先を模索、独ダイムラー・クライスラー(当時)と交渉を重ねたが話はまとまらず、当時メーンバンクだった日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行)の支援も得られず債務超過の危機に瀕していた。 最後の頼みの綱だった米フォードとの交渉も決裂、タイムリミットが迫る中、経営立て直しで評判の高かったゴーン氏を口説きにパリに飛び打診し就任を要請した。その後の日産の業績回復は既報道の通りだが、ここにきて色々とほころびが出てきた。

「コミットメント経営」が代名詞だったゴーン氏だが、2005年から3回続けて未達に終わり、2011年度からは数値は公約ではなく努力目標と自らコミットメント経営の旗を降ろした。部下には公約達成を求めながら、自らの責任は負わずに高額な報酬を手にし、公私混同・隠し資産など不正がでてきた。「19年間のトップ就任はガバナンス上、一人に権限が集中しすぎていた!」が言われている。

手のひらを反すマスコミの論調は如何ばかりと思うが、一時は2011年に日本で行われた首相になってもらいたい人物の世論調査では、9位のバラク・オバマ前米大統領を抑えて7位を獲得したし、法政大学や早稲田大学では名誉博士号まで授与した。更に「企業改革経営者及び新事業挑戦者内閣総理大臣表彰」まで受けていた『カリスマ経営者』だったのは間違いがない。

米フォーブス誌には「過酷な競合が繰り広げられる世界の自動車業界において最も多忙な男」と呼ばれ、日本のメディアからは「セブンーイレブン(早朝から深夜まで非常にハードに働く)」と称され、パリと東京の両拠点での職務に自らの時間を分割するゴーンの航空移動距離は、一年で約15万マイルにのぼる猛烈経営者だった。 マルチリンガルで、アラビア語とフランス語、英語、スペイン語、ポルトガル語の5言語を流暢に話す。さらに日本語も学んでおり、日産自動車社内で自らの肉声で語る際には、あえて日本語での演説を行うようにしていたという。

1999年の日産着任後、日産の社員の優秀さを認め「色々な国で会社のリーダーとして働いてきた経験から本当に会社を変えられるのは、中にいる人々だとわかった」と心境を語った。

「フランス人と日本人の両者の違いを埋め、力を最大限引き出すには、双方で共有できる分かりやすい目標が必要だ。それが数字である」日産で数値目標を課した事について「働き手は仕事の成果、すなわち会社への貢献で評価されるべきだ。成果を出したのに出していない人と同じ賃金や昇給ベースでは公平性を欠く」と日産で管理職以上の報酬にインセンティブ制度を導入した理由について語っている。

ゴーン氏が日本に来て従来の悪しき商慣習を否定したことは認めなければならない。「日本人にあるシガラミがないからできた」とある経済評論家が言っていたが、経営者として当然のことだし誤解も甚だしい。

かつて第二次世界大戦中、米国の指揮官が言ったように、「日本兵は勇敢で優秀だ、しかし、日本の指揮官は最低だし、失敗から何も学んでいない!」のように戦後70年たってもこれほどグローバル化が進んでも、まだこの手の論調があること自体問題だ。従業員の優秀性に着目し組織の問題点を捉え、「クロス・ファンクションチーム」を結成し組織の活性化を図った経営者としての力量は評価すべきだろう。西川社長の明智光秀説や国策捜査のうわさも流れていたが、事の真意は不明だ。今後裁判の進展で明らかになるだろう。

我々の教訓としては、「19年にも及んだCEOの座」が不正の温床になったという指摘だ。年数と不正の兼ね合いはそのまま是認できないが、一つの起こりうる問題点として考える必要がある。

中小企業では日産のような不正は起こらないが「公私混同と経営責任」という観点からは大いに参考になる。財布は「2つであるべきだが一つしか持たない」という感覚だ。非上場会社のオーナーは会社の財布と自分の財布が一つと無意識に見ている経営者が多い。純粋に私的な使用をしても経費を会社に回すことになる。趣味のゴルフもなじみの飲み屋も全て会社の経費として回すのも罪悪感がない。最悪なのは自分の愛人の生活費や車まで、自分の会社の経費とする鉄面皮の社長もいるという。確かにサラリーマン社長と違い、倒産すればすべての財産を失うリスクからすれば、その気持ちも少しは理解できなくもない。サラリーマン社長はどんな立派な言辞を吐き、周りから一流経営者と評価されても倒産して自己破産になった例は寡聞にして聞かない。中小企業の経営者は、社員を雇い社員の2~4倍の扶養家族を抱えているとすれば、公的な存在意義も付与される。社会に利益を還元する義務がある事になる。義務があるなら「冗費を省き、私的な流用は厳禁だ」更に経営責任が伴えば自己の立ち位置はより厳しくなるはずだ。経営責任の重要な目的の一つは雇用の維持だ。そこに会社の存在意義もある。そこには社会に有用性を持たせる「経営理念」がある。創業の精神ともいえる。

「ウチには経営理念はありません」という300年以上続くある老舗企業もある。しかし誰もが納得するような分かりやすい表現での経営理念はないけれども、時代が変わっても、場所が違っても、絶対に事業を続けていくという強い矜持がある。「自分の思うように人に動いてもらうにはどうすればよいか」というような根源的な教えだ。

一緒に食事に行った時にも、「どうやったら、お店の人に最高のサービスをしてもらえるか」を実地で学ばせる事が大事だ。いくら言葉をつくし、誠意を示したとしても残念ながら分かってもらえない人がいる。しかし、たとえ相手がこちらの真意を100%理解しなくても、会社として指示したことを一定のレベルで実践してくれたら会社としては御の字だ。

一方で、何か社員が問題を起こした時に、その社員には社内規程に沿って懲罰を与えたとしても、対外的な責任を負うのはあくまでも経営者である。経営者は逃げられない。「修羅場を潜り抜けた貫禄」という重さも大きい。

結局のところ、経営者目線で仕事ができる社員を育てることはできても、経営者と同じレベルで責任を負う人は経営者だけだ。経営者と社員との間には越えられない一線があるのを踏まえた上で、何をやり、何をやらないのか。これは経営者が自分自身で決めなければならない。

人は他の人をコントロールすることはできない。けれども会社経営においては、一定の決まりの下で、社員が動かない限り、ビジネスとしては成立しない。

経営者は社員に対して必要以上に期待しない。社員が変わっても、泰然として布石を打ち続けることが、長く事業を続けていくためには求められるのではないか。経営者は「人たらし」であることも必要だ。「トップは漬物石のようなものです、それがふわふわしていたら、おいしい漬物はできません。組織に甘えが出たら、一瞬でガクっときます。緊張感をずっと保たなければ駄目です!」四六時中その重みを背負う重責には高額報酬で報いるのも一つの解決策である。

                                                                                                                 社長   三戸部 啓之